Anthology

   山口剛正 

全米空手道剛柔会本部 主席師範  

 

 著作集

ANTHOLOGY OF GOSEI YAMAGUCHI, CHAIRMAN
GOJU-KAI KARATE-DO, USA, NATIONAL HEADQUARTERS
01)デアスポラ無形文化遺産としての「空手」~沖縄「手」のルネッサンス考
02)沖縄の無形文化遺産、「カラテ」のロゴス・パトス ・エトス考  
03)  スポーツと武道との狭間にて
04)  Karate: An Intangible Cultural https://www.goju-kai.com/karate-an-intangible-cultural-heritagekarate-an-intangible/Heritage
5) Can a Martial Arts Theocracy Strengthen Liberalism
6) What does it mean to be a Black Belt

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Norimi Gosei Yamaguchi

c/o Goju-Kai Karate-Do, USA
National Headquarters
187 Monte Carlo Way ,
Danville , California 94506 USA

デイアスポラ無形文化遺産としての「空手」

~ 沖縄「手」のルネッサンス考 ~

山口 剛正      
全米空手道剛柔会本部 主席師範

「群盲、象を評す」という寓話がある。めくらの集まりが見たこともない象に触れて、感触で象を認知しようとする話であるが、「カラ テ」を外国人に解説するに当たって、利用してもらっている。所詮、知識というものは自分の知覚で、確認するもので、「確認する」という経験のできていない ものでも、たとえば象を正しく認知するのであれば、鼻、耳、足、尾、腹の感触を、自分の手でくまなく触ることで、ほぼ正しい「象」を理解することができる はずだからである。「群盲、象を評す」を否定的に解釈するのは必ずしも正しくなく、物の「本質」を「見かけ」から認知する方法も、不完全ではあるが、不可 能ではない。

 ある空手道関係の商業月刊誌に、ぼくのインタヴューが掲載された。録音された対談が文章 になると、話したことのテーマに断絶が目立ち、舌足らずになったり、孤立してしまったり、意味不明になってしまうものである。自分の話したことを自分自身 の言葉で書き直し、清書したくなった。編集に頼み込んであらためて、ぼくの雑談の所見を正しく、披露させて戴くことにした次第である。

 「カラテ」を学問の教材として、アメリカの大学で教えるのがぼくの課題だった。

  ぼ くがサンフランシスコに来たのは一九六四年六月,東京 オリンピック直前のこと、アメリカン・プレジデント・ラインのクリーヴランド号でだった。あの頃の客船はショーボート紛いの観光船で、丸二週間船内での カーニヴァルを楽しませてもらった。その船に日本帰りのアメリカ人の男性ひとりが同船しており、ぼくが日本人だと知って、しきりに、話しかけてくる。何か 日本文化芸道のエキスパートだと言って、自己紹介をするのだが、その芸道なるものが何のことか、ぼくにはさっぱり分からなかった。渡米前は、ある区立の中 学で英語を教えていたから、英語は少しはわかるつもりだったが、何ぶんとも、会話の方はピジョン・イングリッシだったので、アメリカ式の発音が理解出来な かった。その先生、ぼくの、応対が芳しくなかったんだろう、それを限りに、ぼくに話しかけることはしなくなったのだが、驚いたことに、渡米後ひと月ほど後 のこと、ぼくが主宰したサンフランシスコ市のカラテ大会で、再会した次第である。ぼくは驚いた。彼氏はカラテの師範だったのだ。

ぼ くは旧来の友人にあった様に握手を求めたところ、すごく、怒っているのに気がついた。ぼくが「嘘つきだ」というのだ。言われてみれば、たしかに、なんかの エキスパートで、それが、「クワラデイ」とかナントカ、ぼくの知りようもない芸道とあって。そんなもの「知らない」と、言ってしまったのかもしれない。悪 気はなかったつもりだが、怒られて、その時の気まずい思いを、終生忘れることができなかった。

 それから半世紀、ある朝、大学のジムで、授業の始まる前に、軽く、自分の準備運動をしていたら、ひとりの学生が近づいてきて、あんた何を教えるのかと聞いた。

「カラテです」と、ぼく。

「カラテ?」

「そう」

「カラテ?」

「うん」

「カラテって何?聞いたことないな」

 そこで、例のセンセイのことを、ぼくは思い出した。

「クワラデイって聞いたことある?君」と、ぼく。

「もちろん。クワラデイなら知ってるよ。ぼく、子供の頃、クロオビだったんだ」

「空 手」はアメリカ人が発音すると、クワラデイと、少なくとも、日本人の耳には聞こえる。 と、いうことは「KARATE」を日本式に、カ・ラ・テ、とはっきり発音すると、彼等には「空手」と聞こえないのである。二人の人間が共通の話題をテーマ にしていながら、母語が違うために意思の交換に支障が起きるということだ。

いまひとつ。英語を日本語に 記述するに当たって、ローマ字の五十音を制定したのは、宣教師ヘボン博士だとして知られている。このヘボンという姓の原語がわからない。つまり、同博士の ラストネームの英語のスペルが知られてなかった。実はヘップバーンだったのだが、日本人にローマ字読みの日本語はヘップバーン博士が制定したと言っても、 すぐ納得する方はそんなにたくさんいないだろう。ぼくの年代の日本人にはヘボン博士とヘップバーン博士が同人物だという判例がなかった。いまならば、映画 「ローマの休日」のオードリ・ヘップバーン、同「アフリカーン・クイーン」のキャサリ―ン・ヘップバーンの例があるから、ヘップバーンの姓は聞きなれてい る。しかし、だから、オードリ・ヘボン、キャサリーン・ヘボンと呼んでしまっては時代錯誤になってしまう。

だから、「クワラデイ」に聞きなれている、アメリカ人学生に、それは間違いだから、「カラテ」と言いなさいと説教するのは正しいことではない。但し書きつきで丁寧な説明をしなければならなかった。

文 化体系を総称する固有名詞ですら、言語文化が違うと言語学的な変革が生じ、誤解のもとになるということは、その体系の「見かけ」から「本質」を的確に把握 することがさらに困難になってしまうことである。手で触るという、生理的な感触とは次元の異なる、メタフィジカル(形而上学的)な分野の問題になってしま うだけに始末に終えない。

「カラテ」は那覇手、首里手、泊手の名で知られたように、琉球に温床、改良さ れてきた、体技「手」を、日本国政府が、戦前は武徳会、戦後は体育協会の傘下に組織してきたものである。勿論、「手」には中国大陸沿岸の都市に発達してい た、内家、外家の拳法、さかのぼれば、インド、メソポタミア、ギリシャの古代文化にその発祥が見受けられる体技の一部であるものの、武道という日本独自の 体系になった、カラテは沖縄の「手」を基礎にしたものに他ならない。

もちろん、類型からするならば、イ ンドから伝播されたヨガが変身して中国武術の外家拳の一派、少林拳。あるいは別派、内家拳の太極拳等などを含めて、共祖母体と解釈できる。古代オリンピッ クの種目として数えられているパンクラテイオンは壁画から想像してもカラテと同じ格闘技といえるし、これが、西暦前九百年代に体系化していたことを思え ば、世界最古の文化として知られるシュメール文化時代まで発祥の歴史は遡るのは確実だろう。   

徒手 空拳の格闘術は道具を手にする人類発祥以前からの体技だったはずである。ただその業が系統的に体系化されてなかっただけであるが、身体のすべてを応用、選 択肢化すること、独自な技の考案と企画性のある鍛錬法に基づいて、組織付けられるのは時間の問題で、舞踏、演劇同様、歴史前から存続してきた最古のパ フォーミング・アーツのひとつだったと考える。

  武術の演武と舞踏の演舞には根本的な相違がある。演武は演舞と違い観衆を対象にしたパフォーマンスではない。つまり、見世物ではないはずである。自ら鍛錬した護身の力を披露することは護身の目的と矛盾するのは考えればわかることである。

し かし、人類の特徴はクリエイテヴィテイ。創造、もしくは造型本能に結びつく知性が秀でていることである。ただ、殴る、蹴る、投げるという技術を考案するだ けではなくして、その動きや行いに美的感覚と、体育学的効能、ひいては道義的な哲学、思想を装わせて、その体系を正当化してきた。公衆の前でこれを披露す る、という心理的な動機も人間の本性である。

西洋のジュウデオ、クリスチャン、モスレムの文化圏で温床されてきた格闘体術と、仏教の文化圏で発展した武術には体質的な違いがある。すなはち、護身を正当化する闘争自体に解釈の違いがあるということだ。

沖縄の「手」の先覚者たちは口をそろえて、「忍耐」という精神的な訓練を説いた。「忍」の一字は沖縄の武術「手」を象徴する思想である。戦前、戦後のカラテ部の学生が「押忍」(オス)を連呼して、そのアイデンテイテイを衒って見せたのもその教訓故のことだった。

一方、西洋の格闘技には、対決するという闘争の動機にこだわる思想はない。戦闘そのものを肯定して実施されるべきだから。だから相手を倒して勝利を得ることが究極の目的になる。

「競技なのだから、勝たなければならない」という、感覚はすなはち西洋のスポーツ一般に共通する目的意識なのである。

一方、「人を打たず、人に打たれない」ための体術だと考えた沖縄の人たちの「手」は、わざと勝負に負けても、相互が心身ともに傷つくのを阻止することで、評価される。

どちらが正しく、間違いだというのではない。理解の違いを指摘しているつもりである。

「強 者」、「弱者」間の階級闘争と経済的帝国による植民地政策が弱き国の労働を搾取して、グローヴアリゼーションという経済機構が想定され始めた現代では、中 央集権の権力支配者がローカル(地域機関)を犠牲にしないように、その独自な特殊性を保護しようとする意識が評価される時代になった。

琉球で育成された自己保全の感覚は、現代の世界に必然欠くべからずの、思想ではなかったか。

この思想はどこから始まったのだろうか。

「彷 徨えるユダヤ人」のことばで知られる、ヘブライ民族の古代北イスラエル王国は紀元前七百二十一年、南のユダ王国は同五百八十六年にアッシリアと新バビロニ アに侵攻されて捕囚の民になった。その後解放されたものの、その多くがヘレニズム諸国を変転と移動する移民となって、異国に寄生する共同体をつくりあげた が、これがデアスポラである。デアスポラとは、母国を離れて異国にすむ少数民族が背景にした社会的環境でもある。

デアスポラという社会的空間に生息するもののには、基本的な人権と自由がない。自分を含めて、家族員の生命を守るために武器を所持することは許されない。為政者に従属しないものは処罰される。奴隷にひとしい。

沖 縄はかって琉球という王国だった。ところが一六〇九年薩摩藩の島津氏の侵攻を受け、敗れて首里城は開城させられる。それ以後、独立国家とはいいながら、明 の冊封国、薩摩藩の付庸国という他国の為政に従属しなければならなかった。言語文化はもとより日常生活の慣習を他国に学び、自己のアイデンテテイを細々と 守ると言うダブルスタンダードの精神生活を送った。

武器を備えることは違法となるから、徒手空拳の体術を考案して身を守るほかなかった。。

ヤマト政府は一八七一年、廃藩置県を実施するに当たって、琉球王国の領土を鹿児島県の管轄、翌年はこれを琉球藩、そして一八七九年には沖縄県とした。これが琉球処分である。

ちなみに明治政府による国民皆兵を目指す徴兵令が発布されたのが一八七三年。当然、沖縄県民は日本帝国民として同制度を義務付けられた。

那覇手、首里手の創始者といわれる先覚者がこぞって中国福県省、福州にわたり、中国拳法の各派を研修したという時代と重なるのは決して偶然ではない。お仕着せのヤマトん衆の兵役に服することが如何に不条理なることか一目瞭然であろう。

ぼ く個人の話で恐縮だが、渡米後結婚して、アメリカの永住権をもらってから、一番怖かったのは、いつ何時、米国合衆国政府から徴兵令がくるかもしれないこと だった。渡米したときが二十九才、さすがに歳をとりすぎていることが幸いして、徴兵はまぬかれたが、訪問中の異国の地で兵役に従事しなければならない制度 はいただきかねた。ヴェトナム戦役の泥沼にもがいたころの米国である。いくらお世話になっているアメリカの為とはいえ、ベトナムくんだりまで死にに行くつ もりがあるわけがない。

沖縄手では自由組手の稽古を許さなかった。一拳必殺を目標に技を磨くのであれば、組み手は剣の試し切りと同様、邪道に等しい。突き、蹴りの威力を意識的に緩和して、適当に実戦をまねて技を試してみようと考えたのは乱取りを競技化してみたくなったヤマトん衆である。

関 西、関東の大学でカラテ部の学生が好んで始めたプログラムは、幸か不幸か、敗戦後はマッカーサー司令部思想課のパージを受けた各種の武道団体が解散を命じ られたとき、カラテは徒手空拳のスポーツだからというので、競技運動に体質を変えることで、存続することがゆるされた。皮肉な話である。

空 手に「実践組み手」の練習を取り入れて、柔道、剣道を見習いながら競技化するという考えは、当時、新鮮な「体質改善」案として普及し始めていた。「寸止 め」の技術を強調して、防具を着用しない「試合規定が」考案され、流派別の選手権大会が挙行されはじまる。一九五〇年に入ると、大学間の対校試合、さらに は流派間の交換稽古が相次ぎ、やがて任意の学生連盟が結成され定期的な関西、関東、そして全国の選手権大会も実現した。

「流 派の壁」を取り除き、「大同団結」、空手道を日本政府公認の全国的単一団体にまとめ、国体を見習って、恒例の全国選手権大会を施行しようという創案はじつ は、従来の個性ある各流派に残っていた、沖縄手を日本国政府公認のアマチュア体育としてユニフォーム(制服化)する姑息な解体であった。

各 派、流派、道場ではそれまでは複雑に多様化されていた練習法や形に至るまで、大同小異の取捨選択が始まり、指定形、試合規定の単一化のために、競技スポー ツ空手はまったく新しい体系となってしまったものだ。これはもはや、沖縄発祥の日本伝統の空手ではなく、西欧のアマチュア・スポーツ体系を模倣した体育文 化でしかない。

言葉を変えて言うならば、沖縄の郷土遺産が日本国伝統として、ハイジャックされるようなものだった。当時の沖縄の先生方はさぞかし心外であったことだろう。強靭な反対の声が聞こえなかったのは「忍」の精神ゆえだろう。

日本は明治維新以来、西洋に追いつけ、追い越せという文明開化、政治哲学にとらわれて、、西欧の政治、経済、文化体系を模倣してきた歴史がある。

た とえば柔道の嘉納治五郎である。オリンピック・スポーツを紹介して、西洋の体育と思想を普及した教育家でもある。柔道の前身、柔術は、空手と同じく中国の 武術を母体にした、投げ、打ち、逆手と幅の広い体術だったのが、投げ技と寝技だけのスポーツになった。日本伝統の柔道を世界の柔道に育て上げた氏の功績は 大である。しかしながら、体術の技を単一化する段階で、失われた多様性の損失も大であったことも忘れ去られるべものではない。

サンフランシスコに福田敬子という高齢な柔道家がいらっしゃる。天神真楊流柔術師範、福田八乃助の孫娘であるが、彼女の教える柔道は競技スポーツ柔道とは異なり、医学、体育学、機械工学を織り込んだ、まことに奥行きの深い体技文化遺産である。

その伝統的な文化遺産が日本の国外に残されている事実は興味深い。

 

今アメリカでは色とりどりの空手衣に身をまとい、組み手の試合、形の試合が流行している。映画「カラテ・キッヅ」で見られるとうりである。

文頭の「群盲、象を評す」のごとく、観客を動員して行われる競技化された空手も、空手の一部である。しかしそれだけが空手では決してない。空手は今後も世相、政治とともに変わっていくことであろう。

そ の変遷の過程を観察するに当たって、自己保全の原点に戻って、弱きもの、虐げられし民族が生き延びていくための、知恵と対策の文化遺産であったことを認識 してみるのも必要なことであろう。沖縄手のルネッサンス、文芸復興の必要性も理解されるべきだと思う。特色ある郷土性、地域性、そしてその歴史が葬り去ら れたのは、西洋の形而上学的体系の方法論が、それを必要のない膠着物と判断したからである。

 西洋に、「樹木には根があり、ユダヤ人には脚がある」、という言葉がある。

   日本の、「寄らば大樹の陰」という諺のとうり、樹木は大きい程、たよりになると思われたことがある。底の深い根が、がっしりと大地に張る大木の枝葉が、空 高く聳えている。それが、伝統ある祖先伝来の家系であり、国体であるという誇りに繋がる。西洋の形而上学には、樹木をモデルにして、ひとつの現象、思想、 体系を本幹にして、枝葉末節に展開して系列するという図式を構成した方法論があった。

 たとえば、「国」の概念である。

  ユダヤ人には自分の国がなかった。つまり「ルーツ(根)」のない民族だということである。「水草の民」(ワンダーリング・ジュウズ)ともよばれた。だか ら、「樹木には根があり、ユダヤ人には脚がある」という言葉は、不動の巨木ではなくして、世界を脚で跨いで歩ける特別な超力を持つことを指摘した言葉でも ある。ルーツを持たない民族の自己の再評価でもある。

 都市、国家は不動で大きい事がその価値評価にな る。しかし、遊牧民の生活は一カ所に定住すること無く、水と新緑を求めて、家畜と共に移動していく必要性がある。ユダヤ人はその祖先がノーマデック(「遊 牧の民」)だったという歴史が、その民族が土地に定着しなかった理由にもなる。

 竹林の径根みたいに、 地下浅く平面上に網のように広がる、「リゾーム(地下根茎)」とよぶ、組織あるいは構成体をモデルにした、新しい哲学用語がある。ルーツの深い文化を尊 び、古典的な構成体に思考法、伝統的な西洋の形而上学の概念に対抗する。ジル・ドウルーズおよびフェリックス・ガタリの共著『千のプラトー』の序文で紹介 された。主体、従体、亜流という「本質」に拘らず、節々からなる体系を作り上げて、それに組みこまれないものを排除してきた西洋哲学とはことなり、発想の 転換をさせるという改革が評価される。  

イタリアの政治学者、アントニオ・ネグリが提唱するところの、「グローバリゼーション」、あるいは「主権の形態」という理論は日本でも認識されてきた。

ぼくはこの新しい感覚で、未来の空手像の考え方を提示したいと思っている。

文 頭に紹介した「群盲、像を評す」のごとく、動員した観衆を前にして行う、競技スポーツ空手は間違いなく、空手(の一部)である。しかし、そればかりでは決 してない。オリンピックの種目になることを目標として、流派の特色を摘み取り、体質を簡潔化、一枚岩の組織体にしたのも、結構であった。しかし、発芽した はずの径根を整理したために失われた損失の大であったことも銘記されなければならない。

  姑 息な例であるが、たとえば、忍耐の「忍」の概念である。「忍」には下に「者」をつければわかるように、思いがけない、感覚を裏面に持っているのである。表 裏の表を主体、裏を付属意と解してしまっては、古典的な誤りにおちいる。裏もまた表と同等の径根と解釈するならば、忍耐の概念にいっそう、重視すべき思考 が含まれているのが明確である。

「デイアスポラの力」を共著した、ダニエル・ボヤ―リンは権力に抵抗す るに当たって、権力を騙してでも生存するヴァイタリテイが、デイアスポラ共同体で正当化されるエピソードを紹介している。ヘレニズム文化で養われた、男性 的、正義感を謳歌する考察とは相反する倫理観である。沖縄手に共通する。

指先を砂に指して刃物のように 鍛えた、「貫き手」という業は、日本人から嫌われ、早々と消されてしまったが、そういう業もあったことの証拠が古い形の中に残されている。身体衛生学に反 するからという理由で、原典である形まで矯正してしまうのは、必ずしも正しいことではない。

 指先をつ ぶして刃物にすることが、可能だというのではないので誤解のないよう。それができることを仮想して鍛錬したクリエイテヴィテイに人間の独自性を見ることが できるからである。「忍」にはそのような、陰険性もあることで、陰険だからそれを黙殺するのは次元の違う問題なのだと言いたい次第である。

空手は人間の過去と未来を研鑽する上に不可欠な教材であると信じて疑わない。「死」を直面する人間が託した、祈りにも似た生存の願いを、造形美に具象する無形文化遺産だからである。

ぼくが大学の教科で教えるカラテは、於サンフランシスコ・カルフォニア州立大の人文学保健部、キネシオロジー学科である。 主に筋肉、身体物理機能学の実技、理論を教える学科であるが、ぼくは人文学、社会学、人類学、体育学の見地で教えている。

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本稿の著作版権は、著者Norimi Gosei Yamaguchi  の名義で、

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Danville, California 94506 USA

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沖縄の無形文化遺産、「カラテ」の 

ロゴス/パトス/エトス考

山口 剛正

プロローグ: パラダイム・シフト

ぼくはカラテの指導員である。

サンフランシスコの州立大学で教えること、半世紀近くになる。当たり前の話だが、ぼくのクラスに登録してくる学生の母語は、ほとんどが英語であるから、授業は英語でしなければならない。時々、日本語をかたこと話す学生も入ってくるが、文字どうり、かたこと、朝晩の挨拶をもったいぶって反復する程度の会話ができるだけのことで、話が形而上学的になると、英語で話さなければわかってもらえない。もちろん、日本から留学してきた交換学生がいるから、日本語が通じるぼくのクラスを選択する日本人留学生が、時々いたが、その数は知れている。アメリカくんだりまできて、よりによって、「カラテ」を専攻することが、いかに、常軌を逸したことになることぐらい、当然なことでもある。だから、日本で黒帯を取得してきた学生が、規定された、体育の単位をまかなう為にぼくのクラスを頼ってくることがないかぎり、現実性のないことでもある。

当然、ぼくの授業を受けるものは、カラテという「体術とは何か」を教わる前に、立ち礼、座礼に始まる、日本人が昔親しんだ礼儀作法から教え込まれる。

ジュ-デオ、クリスチャン、モスレムのファンダメンタリストの中には、神以外の対象物にたいして頭を下げる行いが、自分の神を侮辱する行いになりかねないこともあって、学生には礼をする行いの意味から解説しなければならない。すなはち、相手の身体に触れてその手を握る礼儀作法とおなじく、その起源、その「見かけの体の動き」が、体系化する形式の慣習が何故始まったのか、納得できるように説明する必要があった。

東洋人には古来から相互の身体に理由なくして触れることを戒める風習がある。相互の身体の間に空間をおいて、お互いの尊厳を保つことを「礼」とする。いっぽう、西洋には相互の身体を意図的に接し合って、親愛を表示する習慣がある。たとえば、握手である。利き手を示して、利器を帯びていないことを示しつつ、相手の素手を握って、悪意の無いことを表示する。

1970年代ニューヨクとロスエンゼルスで、韓国人が経営する雑貨店が黒人の襲撃を受けると言う事件が重なった。韓国人は黒人を人種差別すると誤解されたからである。何故!? 韓国人はお国の習慣に倣って、客の手に触れることを避ける。つり銭を渡すときに、店主の手から客の手に、その手に触れて、渡すことをせずに、紙幣や金貨をテーブルに置いて、数えて、客の手元に差し出す。その仕草が、黒人の客から、さては、この店主は、黒人の手に触れるのを嫌うからだなと解釈される結果となってしまった。

異なった習慣、文化の環境で育ってきた人間が二人いる。ふたりとも、自分を律する作法に関する限り、それなりの訓練を受けてきたから、自分の作法を正しく示すことに問題はない。しかし、未知の作法が意味する形式を見かけで解釈する知識はまったくない。当然、自分の経験で習得した知識に頼るほかはない。相異なった言語を習得するのと全く変わりはない次第である。

身振り手振りで自分の欲することを相手に伝えるという簡単な意思の表現も、所変われば、同じ所作も意味することが全く変わってしまうことがある。韓国人の店主が見せた作法が所変わった合衆国の街角の店頭で行えば、現地の住民を不愉快にさせる意思表現に繋がるというのは、郷に入ればその郷のみかけの作法を正確に習得することが誤解を受けない唯一の方法となる。

それを知らずに勝手に我が身に付いていた日本人の身振りをしたことで、一生の悔いを残した経験がある。渡米してきて勤めた、 サンフランシスコ州立大学の新学期、初の授業で犯した最初の失敗だった。

日本では東京都区立中学の非常勤講師の資格で英語を教えてきたから、英会話をそれほど懼れたことはなかったが、横浜から乗船した、旅客船で、ぼくの英語が通用しないことに気がついて、英語を話すことにすっかり自信をなくしていた時期の話で、身振り手振りのボデイ言語に頼っていたのが不幸だった。カラテの指導の方は、ほとんど、英語を使わずに、実技を演武することで、そのクラスをどうにか教え終えたものの、授業を解散する瞬間、間違いをした。列席していた一人の学生があまりにも印象的だったので、個人的に話がしたく、みぶりで、近寄るように手招きしたからである。ぼくは、手を上げて「おいで」「おいでの」をした、(つもり)だったのだが、その学生、正座から起立して、いったんぼくに近寄りかけたが、ぼくの招き手に押し戻されたかのように、後すざりし始めるではないか。ぼくは、戸惑い、あわてた。うっかり、声をあげて、「プリーズ」といってしまった。かれは、神妙に、一礼して、ジムの出口に向かい、そのまま消え去ってしまったのだ。

ぼくは唖然として、鼻じろんだ。

後で分かったのだが、ぼくの手招きの仕方が逆だった。悪かったのは、ぼくの方だったのである。

日本では、遠くにいるひとを呼んで、招くときは、手のひらを下にして、人差し指から小指を手前に曲げて呼び寄せる。それが逆の意味になるというのである。つまり、アメリカでは、手の平を上に向けなければ、来いという意味にはならず、出て失せろ、という意味になる。その学生はその日をもって、ぼくのクラスに戻ってこなかった。ぼくの不信を買って怒られたと思ったのだろう。こっちは模範にしたいほど、よく訓練のできた人だと思っていただけに、悔恨の思いは大きかった。誤解というものはそれほど重大な結果を及ぼすことがある。

こんなこともあった。これも、渡米したてのころだったが、アパートに本箱を自分で作りたく、鋸を買ってきたときのことだ。あのころは、メイドイン・USAの商品は日本でも保証付きだったのに、その鋸が役に立たないのだ。棚にする板が切れない。金物店に持って帰って切れないというと、憮然とした店主が切って見せてくれた。見事に切れるのである。不思議なこともあるものだと、店主の手元を見て驚いた。なんと、手に持ったのこぎりを前に押して切っている。日本では、鋸は後ろに引いて切るものである。押す、引くの相対的な動きの違いであるが、引くことをもって訓練されたぼくの手は、押すだけの差に関わらず、容易なことではないのを知ってぼくは気が付いた。戸を押して開くか、引いて開くかの力学の功用が、現地の人種の体質、筋肉学な特殊性に基づいているということではないか。単なる習慣の違いだけではなく、人種、人体学と文化の比較相互関係の知識を必要とする学問の分野なのである。

言語文化のプリントの違いが及ぼす印刷物の表と裏の表紙のページが逆になるのは誰でも知っている。インドヨーロッパ語での印刷物は左から右へ横書きだから、本の扉は左に始まり右端で終わる。一方、漢文を主体にする東洋文化の印刷物はその逆、縦書きなら右端が頭で、右から初めて、左端で終わる。

実はぼくはこの違いが、表紙と裏表紙の価値評価を決定する視覚的な観察をきめる標準にされることを、初めて乗ったサンフランシスコのバスの中で習った。バスの席に座って、日本からもってきた週刊誌を読んでいたのを、後ろの席で観察していたまだ5歳にも満たない女の子が母親に向かって、

「ママ、この人、本を逆さま(バックワード)に読んでるわよ」といっているのを聞いた時である。実はぼくはそのとき思わずふき出してしまった。なぜならば、ぼくにはこんな記憶があったからである。ぼくの世代の日本の公立中学校では英語が第一語学で、一年生の新学期に英語の教科書を受け取って、ABC のアルファベットが横書きで、本の表紙が逆なのである。英米人は逆行だなと言い合って笑ったものだ。

パラダイム・シフトという言葉がある。

天動説というかっての公理が、その後地動説に取って変わった為に生じる、価値の変換もそのひとつである。地球は平面上の空間にあり、天体が地球の周囲を回転しているという見かけの運行が、地球は実は球形の固体であって、太陽を求心体にして回転していることが観察される。その結果、地球の表面に位置する空間と他の空間に相対関係の距離が生じて、各地の地理的経度の距離の違いで、地球の自転に従い、時の観測に差ができてくる。これが時差である。

地球上の経度の違いによる、時差が、日常生活に及ばす影響は、毎日、毎時間、国際線を旅する職にあるものにしか分からない感覚だろう。理論的に理解する時差と感覚的に認識する時差に思いもかけぬ、文化的な「落とし穴」ともなる。たとえば、アメリカ合衆国に住むものならば太平洋岸に接する各州と大西洋岸に接する各州の間に3時間の時差があることは子供達も知っている。だから、長距離電話をかけるにあたって、常に電話をかける現地の時間を確認してかける。至急の用ではない限り、未だ睡眠中の時間帯をさけるのはどこの国でも変わりない礼儀作法ではある。

しかし、時差の違いが、日本国と合衆国との距離となると事情は今少し複雑になる。標準時間の合衆国国内の時間は日本時間と、大西洋岸で14時間、太平洋岸で17時間の違いがあるから、日付が一日変わってしまうことがある。

一日という日時がもたらせる違いが、日常生活に及ぼす影響は意外と大きいのである。ぼくはそれを渡米してから、6ヶ月後、12月7日になって気がついた。アメリカ人の弟子がこの日は危険だから、日本人は必要がない限り外にでない方が良いと言われた時だ。なぜかと聞くと、日本帝国海軍が真珠湾を爆撃した日だから、まだ悪感情をもっているものから暴行を加えられる怖れがあるというのである。ぼくはおかしいなと思った。ぼくの記憶では、あれは昭和16年12月8日の筈である。何かの間違いだと思って、図書館の英文百科事典を読んで、なるほど、と思った。日本時間では12月8日だがアメリカでは時差のため12月7日になる。そこで、変なことを思いついた。時差の注釈なしでは印刷された行事の日時が各国の経度地点によって一日違うことがあることは、つまり、自分の記憶が正しいと思った日時が、必ずしも絶対的に正確な日時とは言えないということである。そして、ぼくの誕生日が来た。故郷から「おめでとう」の電話をもらった日が、実際の誕生日より一日早かった次第である。その時はもう驚かなかったが、日付すら、普遍的な記録になり得ない。日本の大学受験で丸暗記してきた、有名人の生年月日を含めて、歴史的事件の日付けは、生誕日ならば、その人の生誕地の経度を参照して確認するという作業が必要になり、事件ならば、それが起きた場所の経度を考慮しなければならないということだ。

自分の誕生日は東京生まれの方が東京にて祝う限りでは正確だが、西欧米の各地で生まれた方は、現在地との時差を考慮して逆算する必要があるということに成る。最近の事例では、ニューヨークのテロ爆撃があった、9/11事件である。あのとき、東京は9月12日だった筈である。9/12と呼んだ方が実感に近い。同じことが北日本の惨事、3/11震災である。あのニュースはぼくは3月10日の朝からオンラインでみていた。

現在、グローバル暦法として採用されたグレゴリー暦ですら、経度の違いを、感覚に入れなければ正確な時を計り、記録することはできないということは、ユリウス暦法からグレゴリー暦に移行した各国の政治的な歴史を考慮しなければ、太陽を公転する地球の周期を正確に比較できないことになる。日時計をもとにした絶対的の時と言えでも、各国が制定した標準時の誤差を念頭に置かなければ正確に把握することはできない。

いいかえれば、各文化間にある違いは形而下にある日常一般の生活様式ですら普遍的な価値判断を計る測量計はないということである。

食生活文化を考えよう。米麦粟の穀物から家畜にいたるまで、民族、文化の違いで常食の違いは千差万別である。ところが、何を食べるかという違いが、ある文化の常食が他の文化の習慣を敵視すことになる結果となる怖れがあるのである。例えば豚肉を食べない民族がいる。理由は違っても牛肉を絶対に口にしない民族もいる。なぜ食べないのかを認識するしないの問題ではないのである、それを食べない者達が、食べる者に対する認識の欠如が動機となって、他を差別する感覚が問題なのである。異民族間の感情の違和感は習慣にもとずく食餌規定が他の食餌規定に反する場合である。その逆の場合も同じである。豚肉を食べるものが、それを食べない者の前で食べることが、いかほどに、不快な思いを与えていることに気がつかないということである。

最近は食生活がグローバル化しているので、例を少し極端にしてみる。あまり歓迎されない肉、例えば猫の肉である。合衆国でならば、それをメニューしたレストランがあれば、民事訴訟の対象とされ、「苦情」問題と相成ろう。しかし、現実問題、うまくはないだろうが、必要とあれば料理して食べれる筈である。しかしそれが他の反感を買い当然、差別の理由とされる。

ゴキブリを食べたことがおありか。醜い虫である。そんなもの人間の食べるものでない。とおっしゃって当然だろう。ところが、ゴキブリは本来は雑木の根元に繁殖、その木を抜いて、同昆虫を食する民族も居るのである。それが、重要なタンパク質、人類の食生活には欠かせない、三大栄養素の一つと指摘されれば、なるほどと、納得していただけるかもしれない。しかし、だからといって、台所にたむろするゴキブリを食用にせんとするものがあれば、非常識な行いとして、他の顰蹙を買うことになるだろう。

個人の先入観で、他人の慣習を社会的に制裁することが起こり得る。例えば、日本人は好んで生魚を食べる風習があるが、生魚が腐った悪臭をきらって、生魚を食べる者から、腐った魚の悪臭を連想する類いの偏見は後を絶たない。ニンニクを食べる者を見て、仮にその臭がしなくとも、ニンニク臭いと思うのがその例である。

ひとは自分の好む衣装を着て、自分が非とする衣装を着る者を非難することがある。着るものに関わらず、身なり、装飾、それが知的な感覚、考え方、能力が地元の社会一般の常識に反するものを排斥する。ある種の服装を他の者を不愉快にする、秩序に違反する者として処罰する対象とする。

同じことが、思想、宗教、哲学という形而上学的な次元の保持者にも当てはまる。歴史的に、文化的に規制された思想が相互の文化の違いによる違和感が原因になって、他を排斥、処罰しようとする「暴力」が戦争に繋がる。もちろん、戦争はそんな単純な原因ばかりで、始まるわけではない。先入観故に、相互の理解に限度ができて、阻止できたはずの、言語の対話が欠如していたことは充分に考えられる。大規模な暴力同士の闘争史を振り返ると、歴史前期からの、数千紀に及ぶ永さ、というか、人類発祥いらいからの、社会現象だったとも言える。これからも、この種の闘争は繰り返されるであろう。

文化、習慣の違いというものにはそれだけの理由があってのことなのである。その違いの、根本的な理由を知らずして、いたずらに、その違いがもたらす差別意識を戒め、相互の人権を認めて、同じ空間に共存せんと勤めるならば、偏見を阻止、さらには暴力行為をとどめることもできる筈である。

歴史の記述は勝者による記録にもとずいてきた。

その闘争となる「対決」なるものをDISCIPLINE (鍛錬)の対象にするのが、武道である。「尚武の精神」を直訳して、西洋人にその WAY OF ART もしくは WAY OF LIFE を指導しようとすると、大変な誤解を与えることになるかもしれないことも、考慮に入れなければならないだろう。「闘争」の行為、哲学を西洋人に解説するには、西洋人が親しんだ言語、哲学、思想を例にとって、紹介する必要があるのではないか。すなはち、日本伝来の文化であるから、これを伝統的な日本語、漢語の定義を英語に直訳しては、学生が分かったような顔をしていても、十分に納得してくれたのかどうか分かったものではないことを、指摘させてもらっているつもりである。

「西洋文化の根本にギリシア文化がある」という歴史観がある。19世紀に確立された、歴史学、哲学、科学、美術、文学界の定説である。それが正しいか、正しくないかという問題はさておいて、古代ギリシャ語が近代の西洋文化にもたらせた影響力を考慮に入れるならば、西欧の学術界が主張する歴史観をひとまず、認識して、哲学、文化一般の「ギリシャ哲学に乗っ取った、定義化の体系」を採用することを阻む物ではあるまい。

なるほど、カラテは琉球郷土で温床された体術文化ではあるが、指導する対象が西洋人であるのであるならば、同対象になる人々がが親しんだ言語、感覚、形而上学的な定義をもとにして紹介、指導するのがより効果的なのではないかと考える次第である。

例えば、精神鍛錬という日本人が常用する熟語を直訳して、解説しても、分かったような顔をしていても、基本的なところで誤解していることが良くあるのである。ぼくはカラテを米国の公立大学で指導するにあたって、アリストテレス修辞学の実践、「ロゴス、エトス、パソス」による弁証法を応用してきた。

ソクラテス、プラトン、アリストテレスは日本人では小学生でも知っている古代ギリシアの哲学者である。ギリシャ哲学の体系に基づいて、東洋文化の論理を提供できる筈なのである。

長過ぎる前書きとはなってしまったが、それならば、カラテとは何か。カラテを習うことが如何に個人の日常生活を精神的に豊かにするも のか、その魅力を、本質、実用化,そして、それを指導する者の魅力なるものなどなどを、多角的に総合して、考察させていただく。

 

648 BC 古代ギリシャ・オリンピックの種目とされた

パンクラテオン

http://en.wikipedia.org/wiki/Pankration

第1章:ロゴス考
カラテの本質が持つ魅力
 
その体系の認識を説く

ぼくの教える大学では、「カラテ」は 過去40余年、Kinesiology Department の教科課程(カリキュラム)Physical Confrontation,  Martial Arts, の実技に履修されてきた。ひとクラスを一学期受講して、筆記・実技のテストにパスすれば、1.0 単位を習得できる。学部学生は4年間に最低2.0単位の実技を必修しなければ、卒業できない。

カラテは東洋文化財の一つであるが、西洋にも、ボクシング、レスリングなど格闘術の体育教養文化があり、米国合衆国の公立教育機関の体育 (Physical Education) 教科のひとつである。サンフランシスコ州立大学でも、カラテのほかにもPE 実技に、テニス、水泳、バレーボール、バスケットボールの各種実技を選考することができる。

日本には伝統的な武芸百般、もしくは武道という呼称の教養科目があり、カラテ、合気道、柔道はそのカテゴリーの中で指導されてきた。確かに歴史的には上記三つは中国を経て輸入されてきた中国拳法の支流ではあるが、琉球には唐手と呼称された、中国拳法以外に「手」という独自な格闘術があったという説がある。ぼくらが教える「カラテ」もしくは「空手道」なるものの体質と形而上学的な本質をまず確認してみたい。

最近の遺伝子学分野の研究の発展は著しく、DNA (デオキシリボ核酸)と名ずけられた高分子生体物質の遺伝子を採集、統計して読みこんだ人類発祥とその移動史が紹介された。Spencer Wells 博士によると現在生存する全地球にすむ人類のDNAを採集して、その母系遺伝子、ミトコンドリアと父系、Y クロムゾンをもとに調べたところ、原人類はすべて5万年の昔アフリカ大陸の東海岸、現在のタンザニア、ケニア付近を出て、中近東、インド、オーストラリヤ、東西ヨーロッパ、さらには、北極からアルーシャン列島を経て新大陸へ移住、約2万5千年をもって、全地球に頒布現在にいたるものであると発表した。

アフリカに発祥して、世界各地に頒布した原人類はもとをたどれば、「アダム」と命名された特別異変のY クロムゾンをもつ、男性に帰属するということは、容貌、体躯、髪色、肌色の違いはあっても、地球上に実在する人類すべてのものが、肉親、親兄弟であることになる。すなはち、それぞれの見かけや、言語、習慣、宗教の違いはあっても、その生理、心理、感覚に関する限り、基本的には同じDNA を持つ生命体だということである。

「ひとは道具を考案した唯一の知性を持つ生物である」という、定義がある。そのとうりであろう。道具や火の扱いを習得した知性は人類の想像力の応用の結果で、それが文化の発祥に繋がる。素手による格闘、闘争は、しかしながら、道具の応用ではない。自分を、自分のものを確保する為に身に付いた腕力という、本性そのものである。しかし、自分の身体を操るという知識は、その知性に基づいて、より効果的な技術を考案する課程を経てできている。例えば走るという行いである。つま先で走るか、踵に重心をかけて走るかという機動性は、スピードを目標にするか、耐久力を目的にするか、それぞれ違いがあるから、走ることの目的に準じて、臨機応変に「論理」を選場なければならない。それも、出生後に教えられた経験をもとにした知性である。

霊長目類もしくはゴリラの習性を研究する学者によると、ゴリラの本性は人類と非常に似ており、社会生活をするにあたって、闘争、対決を好まず、どちらかというと惰性、友好的な本性が其の特質であるという。暴力を持って対決するのは、追い込まれるか、自己のの生命が危険に曝された場合によるもので、けっして、闘争を好むものではないという。

人間の本性も決して獰猛な知性を持たないということになる。例えば、ターザンみたいに、ジャングルではなく、平常な人間の社会で育ったものならば、動機抜きで人の命に危害を加える人はおるまい。少々、乱暴な例ではあるが、生まれたばかりの新生児を手に持って、あやしながら、その児の首をしめて、生命を絶つことができる人間は居ない筈である。正気である限り。

もちろん人間には残酷な暴力行為をおこなう、能力はある。毎日の新聞、雑誌、テレビの報道を読み、聴けば、分かるとうりのことである。しかし、その暴行は、れっきとした、動機があってのことである。ぼくらが行う暴力行為は生後習得した知性による経験、教え込まれた先入観によって習得した、後天的に習得した行為なのである。また姑息な例で申し訳ないが、前例の新生児を抱いて居る人に、その児の首の骨を折らせる方法がふたつある。ひとつは、赤子を抱くものを強制する方法である。拳銃をそのひとの頭に押し付けて、殺しなさい、殺さなければ、あなたの頭を撃ちますよとおどかせば、その人は本来の自主性を失って、他力の指示に従うかもしれない。躊躇する者がおれば、さらに効果的な方法がある。知的にそのひとを洗脳することである。この新生児は20年後、非常に危険な男になる。自分の両親はおろか、隣近所に始まって、周辺の共同体、さらには、国まで滅ぼし、やがては、全世界を破壊する「悪魔」になるだろうと、説得すればよい。

説得された人間は従順である。おそらくそのひとは、進んで、説得者の意思に従うだろう。ぼくたち人間には先人によって養われた、観念を信仰する傾向がある。正しいと信じた信条を実行に移す訓練を身につけている。それは「正義感」を養うという正当な善行なのである。宗教的ドグマ、もしくは、形而上学的な「思想」を信ずるナイーヴな善人が、本能にはない非情なおこない、暴力を発揮することができるということは、軍隊という特殊な環境のなかで、上官の命令に無条件に準ずる義務を果たすことが如何に、人間本来の本性に叶っておるかという証拠にもなる。

もし、人の指図に無条件に従うという義務がなく、自己個人の判断に従うという自由があれば、特定の説得者が暗示するところの、予言を信じないかぎり、人を殺害するという行為はできない、ということでもある。第三者の言葉を信じてしまった段階で、極端な行動をおこなうことに、誇りを持ってしてしまう。それをすることで、全地球を救うことができるかも知れないと思うことが使命感に結びつく。内容のないヒロイズム(英雄像)に自己満足の対象をもとめる、人間の弱点ではないだろうか。

恐ろしいのは、その使命感なるものである。20年後におこることを正確に予言できること自体が非常識なことであるから、これを信ずることが、いかに、無謀なことであるかということを認識しなければならない。人間本来の習性にはない「行い」をするように成長するのが人間ではあるが、後天的な経験が人間本来の生理を損なわないように、健康な「感覚」による知性を保護する訓練もさせなければならないということではないか。

人間に獣性がないから、それを植え付けるという感覚は、ある思想を暗示する、出生以後に積み重ねる経験による知識ではあっても、好ましい思想ではあり得ない。

ぼくはカラテの指導員を職業にしてきたが、教育者としての自覚をもって、その仕事に従事してきた。

Physical Confrontation は、人間の社会生活に起こりうる、他人との「対決」のことである。その「対決」が人間の社会生活を、力学的、生理学的、心理学的に、損なわないように、守る為の理論。すなはち、人体を精密な機械に訓練すること、これを実行する為の強靭な心理学的な感覚を養う為の学識、知識が体系化される。其の体系化された、人体と感覚だけがカラテではない。突いたり、蹴ったり、投げたりする技を、力学的に制御できる技能と人身をいたずらに傷つけないという、知性を養わなければならない。

その特技と感覚が、凶器にもなるかもしれないからなのである。

特殊な能力を持つ精密な器械に仕立て上げられた身体をもつ習得するものものに、盲目的な動機を教えることが如何に無謀であるか考えてもらいたい。ぼくは、学生に、盲目な正義感は危険なものであることを、はじめの段階で教える。つまり、正拳という突き技を教えた時点で、学生同士に、わざと、その正拳をパートナーと向かい合って、相互の顔(じんちゅう)に強く速く応用して、一寸先で止める稽古をさせる。

この大学で教えること40数年、その最初の稽古で相手にけがをさせと言う事故は、おかげさまで、いちどもおこらなかった。稽古中の怪我は、学生がクラスに慣れて、緊張度が失われた段階でおこるもので、まだ未知の他人を前にした段階では、本能的に、自主神経の制御のメカニズムが相手に傷つけることを拒否するからである。うっかりけがをさせないように、10センチも20センチも距離をおいて突くものがほとんどである。しかし、それでは、突きとしての功用が成り立たないから、できるだけ、接近させて、スピードも突きの力も落とさずに突かせる、コントロールの訓練を心理学的応用に従って行う次第である。制御とはそういうものでなくてはならない。うっかり当てて、相手を傷つけることを恐れるあまり、間の距離を置いた、安易な突き方では、その突きのそのものの素質がない。秒速100キロの速度で、加速された突きを、標的の一センチ前で正確に止める訓練ができてこそ、技術もしくは鍛錬と言える次第である。

その段階で、ぼくは学生に、人間の本性には理由なくして人を傷けるという、残忍性はないこと、だから自分自身の心理的、生理的なメカニズムに自信を持ち、他の身体を傷つけずに、スピードの速度、インパクトの強さを弱めずに、突きを正確に応用させることの繰り返しが、素質を発達する要因になることを理解させる。

心理的な緊張感は筋肉をこわばらせ、正拳突きをおこなうならば、その功用を失速、失力する。だから、一日千回も、二千回も素突きを繰り返して、その正拳突きなるもののスピード、重力、拳の硬質、そして的の寸前で止める制御の練習をさせなければなるまい。

突き、蹴り、当ての手業、足技は、その破壊力が可能な限り最高になることを目的にしてこそ、指導の本分となる。地球上のいずれの風土帯、季節、土地、文化に育ったいずれの人類も、自分なりの動きを自得している。ただその業が系統的に体系化されてない。当然、知性の発達に従って、身体のすべてを応用、 選択肢化すること、独自な技の考案と企画性のある鍛錬法に基づいて、組織付けるというシステムが出来上がる。

それがカラテの本質なのである。

この研修に当たっては、物理学、数学、幾何学、筋肉学、心理学、動力学、人類文化学というあらゆる教科を応用して、オーケストレイトする必要がある。いまひとつ、カラテには実用化不可能な技も含まれている。指先をつめて突く貫手がそれである。指先を砂、穀物、砂利石にさす習慣の結果、奇形化して他人の身体に錐のように差し込むという感覚は科学的ではなく、むしろ、人間の創造意欲の想像力がもたらせる、文学的、猟奇的、宗教的、神秘的なオカルトでもある。

人類発祥以前からの体技だったはずである徒 手空拳の格闘術は、猛獣の習性をまねたり、アニミズムのように野獣の動きに見せかけて、霊性を仮想する心理的な次元がある。ヒューマニズムの感覚の一つでもあり、舞踏、演劇同様、歴史前から存続してきた最古のパ フォーミング・アーツのひとつだったと考える。これもカラテの本質である。

パフォーミング・アーツとは身体の各部分を駆使して、それを 創造神 、第三者(観客)を意識して演じる行いである。演劇、歌謡、舞踏がその判例に含まれる。人間の知性には創造性、想像力、これを演舞する動機にする感覚がある。

武術の演武と舞踏の演舞には根本的な相違がある。演武は演舞と違い観衆を対象にしたパフォーマンスではない。つまり、見世物ではないはずである。自ら鍛錬した護身の力を披露することは護身の目的と矛盾するのは考えればわかることである。

し かし、人類の特徴はクリエイテヴィテイ。創造、もしくは造型本能に結びつく知性が秀でていることである。ただ、殴る、蹴る、投げるという技術を考案するだ けではなくして、その動きや行いに美的感覚と、体育学的効能、ひいては道義的な哲学、思想を装わせて、その体系を正当化してきた。公衆の前でこれを披露す る、という心理的な動機も人間の本性である。

さらに複雑なのは、太平洋戦争のエピソードとして、アメリカ海兵隊が目撃した、奇妙な話がある。同大戦末期、本国からの輸送が断たれた各南洋諸島の守備部隊は、弾薬はおろか食料にいたるまでその補給が底をついていた。米海兵隊上陸に当たって、熱病と餓えにあげく日本兵は島の洞窟中に地下防空壕をつくり防備にあたった。

戦後、これを目撃した海兵隊の話によると、地下壕からでてきた半裸体の日本兵が、戦車の前に現れ、踊りのような演舞をしたというのである。おそらく、空手道「形」の演武だったのだろうが、アメリカ人兵士にはその解釈に窮したという。火炎放射銃を装備した戦車隊をまえに単身文字とうり無防備で出現、斯道の形を演武してみせる精神状態の異常さは別にして、カラテを鍛錬したものならば、わからないことはない、メンタリテイでもある。被害者意識を克服するある種の自己顕示だったのかもしれない。その、デフォルメされた心理表現もカラテの持つ本質になりうる。

西洋文化史のなかでもとくに顕著な「人間性の再発見」は14世紀ー 16世紀  北イタリアのフィレンチエを中心におこった、ルネッサンスである。レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウイトルウイウス的人体図」は特に注目に値する。キリスト教集団の政治的関与の為、西洋は中世期に、唯一神を絶対化するあまり、人間性の原罪観を樹立して、人間そののものの価値を軽視する傾向があった。古代から受け継いできた、宇宙科学に関する知的な認識は、一時、排斥され、暗黒時代を迎えた次第であるが、「文芸復興」による、人間性の再認識が美術、芸術家達の手で行われたものである。「人体のプロポーションの法則」とも呼ばれる、ダ・ヴィンチの解剖学をもとにした研究によると、たとえば、左右の腕を開いた人間の指先から指先までの距離は、その人の身長と同じであること。人体の各部の間接から間接の長さはそれぞれ比例していることなど、人体の調和が提唱されたことである。

面白いのは、カラテの業を分析すると、沖縄の先人達はその事実を認識していたらしい資料があるのである。例えば人体の上・中・下の三急所、ジンチュウ(上唇)から水月、水月から睾丸までの距離は同間隔であり、その距離は拳から肘関節と同じであるという事実。さらには、サンチン立ちと呼ばれるスタンスの造り方は足のつま先から踵の長さと、肩幅、そして、つま先から膝関節までの下肢の長さが、比例していることを前提にしている事実。三角関数(ピタゴラスの定理)を応用するならば、足の長さに2の平方根(1.14)をかけると、肩幅となり、足の長さに10の平方根(3.16)をかけて、それを2で割ると、下肢の長さが算出することができることが分かる次第である*。(01)

カラテに応用された知性は人体学の科学的研修も適応されていたのである。

儀礼的に形式化された「形」もカラテの本質である。習慣になった人間社会の行事は形式化される。結婚式、葬式、等もそうだが、能、狂言、歌舞伎、舞踏、オペラ、バレーなど、いずれのパフオーミング・アーツにもその独自な形式化が見られる。カラテも例外ではない。

日常習慣の社会学的形式化は祭日、葬儀、婚姻、出生の式典をはじめ、神殿、仏殿、教会の定式にひとしい。造形美を具象とする人間の想像力の判例とも言われる。カラテには人類学的に無視され得ない興味深い教材が含まれている。

(注)* (01) 詳しくは拙著、The Fundamentals of Goju-Ryu Karate by Gosei Yamaguchi の p.26 を参照のこと。

第2章:パトス考

カラテを習得することの魅力

共鳴の認識を説く

指導員は、教材の魅力を学生に共鳴させるべきである。カラテは他人を排斥するためのものではない。他人と共存する為に、自分との対話がなければならない。多数文化の共同体社会にあって相互の共存を促進するこころがけが肝要であると思っている。カラテなるものが魅力のあるものであっても、それを身につけることに魅力がなければ、学生はついてこないからである。

ぼくは稽古着を支給する前に、クラスの登録にあたって、セメスターの初日を、オリエンテイションとして、カラテとはなにかという問題を説明する。アメリカ合衆国にはこの半世紀の間に、日本国伝統を称する「カラテ」だけでも、百種を超える流派が普及されてきたので、ぼくが教える「カラテ」なるものが、登録した学生の期待した物であることを確認してもらう為に説明することにしてきた。そうすることで、学期が始まって、こんな筈ではなかったと、クラスから脱落する学生が続出しないようにと思う親心でもある。

ぼくのオリエンテイションでの一言は「暴力否定」の宣言ではじめる。カラテを習得することは、自分を生かし、相手と共存する為の知性と体術を身につけることであること、そしてそれは、「カミソリ」をポケットに所持するのと同じくらい危険なことなのだと話す。人を傷つけるばかりか、自分自身を傷つけることにもなるからだという。

学生はそんな物騒な刃物になれるわけがないと、本気にしない。そこでぼくは、まず、ひとそれぞれ、大小の違いはあっても、それなりの体重を持っていることを指摘する。クラスを一望して、小柄な学生の目に視点をあわせながら、そのクラスにいる誰でも、そのつもりになれば、今この場で、巨漢の男性を一撃でノックアウトできる力を持っていることを紹介する。体重が30kgにも満たない学生でも、拳の正しい握り方を取得すれば、その拳の質力故に、時速100kのスピードで突けば、相手が6尺豊かな巨漢であっても、一撃で倒せるだけの衝撃をあたえるとができるという理屈を披露する次第である。

理屈はこうである。15ポンドのボーリング・ボールは6.8kgの質量である。このボールを目の高さから素足の足先に落としてみることができるかどうかを聴くことで、ボールの衝撃が如何に破壊的であることを、認識させることができる。ボーリング・ボールは日常生活には珍しいものではなく、学生はその小さなボールでも、爪先をつぶすほどの威力があることを実感できる。インパクト6kgを水月に受けて倒れない人間は居ない。だから、30kgの小柄な人間でも破壊的な力を発するすることができるしだいである。しかし、そのインパクトは突くものの身体にもカウンター・インパクトになることを知らせることが重要なのである。習得した「技」を習って、人を倒すことは簡単である。ただ問題は突いた方も傷つくのである。人の手首は目標と90度でない限りその衝撃で骨折してしまう。人の身体を30kgの衝撃でつくことは、つかれる人の身体が、つく人の腕とこぶしをつくことなのである。つく方の身体にそれを受け止める抵抗力がなければならないということだ。

衝撃は相手にあたえるばかりではなく、自分自身を破壊する力があることを忘れてはならない。手首をくじいたり、肘関節や肩の関節を脱臼しないように、技の鍛錬法に従わなければならないからだ。

体重が及ぼす衝撃力は、腕立て伏せを拳でさせてみせることで認識することができる。初心者でも左右の拳で自分の体重を支えられるものがたくさん居る。しかし、左右いずれの拳をあげて、拳一本で、自分の体重をさせられるものはそんなに居ない。ほとんどが、手首のバランスを保持できないでくずれてしまう。自分の身体を筋肉学、動学の知識にもとづいて、精密な器具に仕立て上げることの重要性を説明する。人を殴って自分が怪我をするのでは意味のない話なのである。

カラテは、果たして、護身であるという形而上学的「理念」に当てはまるかどうかという問題をぼくは学生達と話し合う。西洋、特にアメリカには護身の論理を正当化して、暴力を肯定する「思想」がある。「護身」を、最大限に効果あるおこないにするには、身の危険になりそうな者、物を、はじめから、物理学的に、すべて、破壊しておくことである。天上天下、唯我独尊の権力をもつものの理想でもあろうが、しかし、その思想は絶対に受け入れられない。おのれを含めて他と共存することが、人間社会にもっともふさわしい、思想であるはずだから、護身という感覚は危険な感覚でしかない。

だから、ぼくは「護身」の言葉がもつ語彙と感覚がもたらす矛盾を、詳細に学生に検討させる。

素手による、セルフ・デイフェンスは暴力の正当化になりうるか。

アメリカ合衆国は、多分化共同体の社会で自己の生命、権利、財産をまもるための基本的人権が公認されている。当然一般の家族所帯には拳銃、猟銃、ライフルという武器を備え持つことが許されている。カラテという技を身につけることが究極的、自己防衛になるものではない。

人間は生来、臆病なのである。自分以外のもとを対決することを恐れ、その不安に日常苛まれる。とくに自分の体力に自信の無いものは他人との対立、対決を恐れるあまり、欲しいものをはっきり口にも出せない程の劣等感を抱くことにもなる。しかしそれでは生活の営みに支障をもたらせるから、他人に自分の権利を主張する為の勇気を育成しなければならない。喧嘩に強くなれるということでは決してない。暴力を振るった段階で、そのひとが、主張するべき権利を失ってしまうことを忘れてはならない。

カラテという「他人と対決する業」を習得することで、素手であるかぎり、他人の暴力の犠牲にされない、という、確信と自信が、他人と自由で平等な社会生活を行う為の助けにできる。それが、カラテを習得することの魅力の一つであると、信じている。

西洋のジュウデオ、クリスチャン、モスレムの文化圏で温床されてきた格闘体術と、仏教の文化圏で発展した武術には体質的な違いがある。すなはち、護身を正当化する闘争自体に解釈の違いがあるということだ。

「カラテ」は始め, 「てイ」と呼ばれていた。「那覇手」「首里手」「泊手」というように、琉球の土地名をとって、各ローカルの独自性をしていたものの、中国大陸から輸入されてきた同系の拳法は「とうてイ」と呼称して、識別されていた。もちろん、これには異説もある。琉球文化はすべて大陸から伝播してきたもので、「てイ」も然り、「てイ」 と 「とうてイ」の違いは輸入されてきた時代の差で、「てイ」は明との交易が始まった14世紀以後、冊封使についてきた武官から習ったものだろうといわれている。ぼくは沖縄には独自の武術が大陸から伝播された体術とは独立してあったと思っている。琉球古式の体系に、中国拳法には見られない、独自な「拳」を握る業が残っていることを考証してのことである。

当初は琉球の郷土文化として市井の有志により指導、伝搬されていた体術が、同島が沖縄県として日本国の国体に従属されるにいたって、17世紀初頭の薩摩藩侵略以来、「唐手」の名称で、ヤマト本島に伝搬され、日本国郷土文化として、日本国政府が、戦前は武徳会、戦争直後は文部省傘下の体育協会、現在では文部分化省傘下の各行政法人の中で組織されてきたものである。いまでは、伝統的日本文化遺産として広報されてきたが、実は琉球独自の郷土文化だったのである。

その郷土文化を、異国情緒をロマン化した「やまとん衆」がこっそり、密輸出「ねこばば」して、「日本伝武道」に体質をかえてしまったものであるが、心ある琉球の先人方たちには、さぞかし「迷惑千万だと」心外に思われたなことだっただろう。本来なかった業や指導のプログラムが勝手に作られ、中央集権下にシステム付けられてしまったのだから。

勿論、「手」には中国大陸沿岸の都市に発達していた、内家、外家の拳法、さかのぼれば、インド、メソポタミア、ギリシャの古代文化 にその発祥が見受けられる体技の一部であるものの、武道という日本独自の体系になった、カラテは沖縄の「手」を基礎にしたものに他ならない。類型からするならば、インドから伝播されたヨガが変身して中国武術の外家拳の一派、少林拳。あるいは別派、内家拳の太極拳等などを含めて、共祖母 体と解釈できる。古代オリンピックの種目として数えられているパンクラテイオンは壁画から想像してもカラテと同じ格闘技といえるし、これが、西暦前九百年 代に体系化していたことを思えば、世界最古の文化として知られるシュメール文化時代まで発祥の歴史は遡るのは確実だろう。

沖縄の「手」の先覚者たちは口をそろえて、「忍耐」という精神的な訓練を説いた。「忍」の一字は沖縄の武術「手」を象徴する思想である。戦前、戦後のカラテ部の学生が「押忍」(オス)を連呼して、そのアイデンテイテイを衒って見せたのもその教訓故のことだった。

西洋の格闘技には、対決するという闘争の動機にこだわる思想はない。戦闘そのものを肯定して実施されるべきだから。だから相手を倒して勝利を得ることが究極の目的になる。「競技なのだから、勝たなければならない」という、感覚はすなはち西洋のスポーツ一般に共通する目的意識なのである。勝つか負けるかという、二者選択のコンテストである。

一方、「人を打たず、人に打たれない」ための体術だと考えた沖縄の人たちの「手」は、わざと勝負に負けても、相互が心身ともに傷つくのを阻止することで、評価される。どちらが正しく、間違いだというのではない。理解の違いを指摘しているつもりである。

「強 者」、「弱者」間の階級闘争と経済的帝国による植民地政策が弱き国の労働を搾取して、グローヴアリゼーションという経済機構が想定され始めた現代では、中 央集権の権力支配者がローカル(地域機関)を犠牲にしないように、その独自な特殊性を保護しようとする意識が評価される時代になった。

琉球で育成された自己保全の感覚は、現代の世界に必然欠くべからずの、思想ではなかったか。

この思想はどこから始まったのだろうか。

「彷 徨えるユダヤ人」のことばで知られる、ヘブライ民族の古代北イスラエル王国は紀元前七百二十一年、南のユダ王国は同五百八十六年にアッシリアと新バビロニ アに侵攻されて捕囚の民になった。その後解放されたものの、その多くがヘレニズム諸国を変転と移動する移民となって、異国に寄生する共同体をつくりあげた が、これがデアスポラである。デアスポラとは、母国を離れて異国にすむ少数民族が背景にした社会的環境でもある。

デアスポラという社会的空間に生息するもののには、基本的な人権と自由がない。自分を含めて、家族員の生命を守るために武器を所持することは許されない。為政者に従属しないものは処罰される。奴隷にひとしい。

沖 縄はかって琉球という王国だった。ところが一六〇九年薩摩藩の島津氏の侵攻を受け、敗れて首里城は開城させられる。それ以後、独立国家とはいいながら、明 の冊封国、薩摩藩の付庸国という他国の為政に従属しなければならなかった。言語文化はもとより日常生活の慣習を他国に学び、自己のアイデンテテイを細々と 守ると言うダブルスタンダードの精神生活を送った。

武器を備えることは違法となるから、徒手空拳の体術を考案して身を守るほかなかった。カラテは琉球の島民が考案した、デイアスポラ文化思想の結晶だったとぼくは学生に説いててきた。自分の住む先祖伝来の生地が、植民地化された結果、異人種またはホーストの国体の政権に従うという特異な環境で、自己の文化、人権を永続させていく為の WAY OF LIFE、 これもまた、カラテを習得することの応用であり、それを修練する魅力となりうる。

ヤマト政府は一八七一年、廃藩置県を実施するに当たって、琉球王国の領土を鹿児島県の管轄、翌年はこれを琉球藩、そして一八七九年には沖縄県とした。これが琉球処分である。ちなみに明治政府による国民皆兵を目指す徴兵令が発布されたのが一八七三年。当然、沖縄県民は日本帝国民として同制度を義務付けられた。

那覇手、首里手の創始者といわれる先覚者がこぞって中国福県省、福州にわたり、中国拳法の各派を研修したという時代と重なるのは決して偶然ではない。お仕着せのヤマトん衆の兵役に服することが如何に不条理なることか一目瞭然であろう。

ぼ く個人の話で恐縮だが、渡米後結婚して、アメリカの永住権をもらってから、一番怖かったのは、いつ何時、米国合衆国政府から徴兵令がくるかもしれないこと だった。渡米したときが二十九才、さすがに歳をとりすぎていることが幸いして、徴兵はまぬかれたが、訪問中の異国の地で兵役に従事しなければならない制度 はいただきかねた。ヴェトナム戦役の泥沼にもがいたころの米国である。いくらお世話になっているアメリカの為とはいえ、ベトナムくんだりまで死にに行くつ もりがあるわけがない。

沖縄手では自由組手の稽古を許さなかった。一拳必殺を目標に技を磨くのであれば、組み手は剣の試し切りと同様、邪道に等しい。突き、蹴りの威力を意識的に緩和して、適当に実戦をまねて技を試してみようと考えたのは乱取りを競技化してみたくなったヤマトん衆である。

関 西、関東の大学でカラテ部の学生が好んで始めた自由組み手のコンテストは、幸か不幸か、マッカーサー司令部思想課のパージを受けた各種の武道団体が解散を命じ られたとき、カラテは徒手空拳のスポーツだからというので、競技運動に体質を変えることで、存続することがゆるされた。皮肉な話である。

終戦直後、マッカーサー元帥は武徳会という武道の「制度」も解体した。日本帝国の侵略政策なるものの思想的な元凶と解釈された為である。その結果、旧武徳会傘下の弓道、剣道、柔道という武道組織団体はその存続を目指して、斯道の体質をスポーツ化することで存続を申請しなければならなかった。カラテに「実践組み手」の練習を取り入れて、柔道、剣道を見習いながら競技化するという考えは、当時、新鮮な「体質改善」案として普及し始めていた。「寸止 め」の技術を強調して、防具を着用しない「試合規定が」考案され、流派別の選手権大会が挙行されはじまる。一九五〇年に入ると、大学間の対校試合、さらに は流派間の交換稽古が相次ぎ、やがて任意の学生連盟が結成され定期的な関西、関東、そして全国の選手権大会も実現した。

真剣勝負という体質で発祥したカラテが、試合規定というルールを標準化してスポーツの体質に改善されることで、グローバルにされると、同スポーツの人口が急激に増大した。しかし、その結果、カラテ本来のアイデンテテイに危機をもたらせたものの、西洋諸国での普及を鑑みるならば、デメリットではなかったのかもしれない。

ユダヤ民族のアイデンテテイとして温床されたユダヤ教が、ローマ帝国の国教として制定されて以後、民族の境界なしにグローバル化されたキリスト教となることに似て興味深い。

フェンシングは西洋の剣術である。真剣を使わずに、剣の先に電流を流して相手の防具に当たると告示板に表示されて得点が視覚化される器具を使用することで、同スポーツを競技にしたのと同じように、カラテの競技化はそうやって始まった。武道家を任ずる指導員には嫌われたが、これも新たな魅力となって、カラテのマーケットを風靡することになる。

最後にいまひとつ。文化圏の異なる、異国におけるカラテの人気は、禅、ヨガ、能、狂言という、異国情緒による知的な魅力も作用する。神道、仏教、キリスト教という外来の宗教が日本の文化史に及ぼした経過は、それが知識階級によって採用された傾向があったことである。神道と天皇家、仏教と皇族、キリスト教とインテリゲンチャの結びつきはアメリカ合衆国の60年代の若者達が日本の郷土文化に異常な興味を抱いたことに繋がる。

ぼくのカラテのクラスに英米文学科、演劇科、モダンダンス科の教授達が沢山聴講していた時代があった。

第3章:エトス考

カラテを指導する者の魅力

資格承認(レコグニッション)とカリズマの狭間

 

カラテを教える指導員はまず暴力を否定する者でなければならない。さもなくば、気違いに刃物を持たせることに等しく、腕力を持つことの責任を自覚することができない。すなはち、カラテという体術を熟練するだけでなく、熟練する課程の途上で、特技を身につけることが、自己のエゴイズムを甘やかし、「力の濫用」という心理学的な弊害を招くリスクを自覚することが肝要なのである。それが、体技をマスターするということの基本的な認識となる。同体術を実行に移すことのタイミング、さらには決断力は自分自身の判断でまかない、他のものの指示には、いっさい、猶予を与えないという克己心を養わなければならない。それが、人を傷つける可能性のある体技を持つものが持つべき責任感とも言えよう。

テクニックを理論的に紹介できる能力も重要である。西洋には理論的知識を第一義にする為、これをコーチする指導員の実技である、Performing Knowledge が職業的なレベルに達していなくとも、スポーツ競技のコーチをすることができる。カラテに関する限り、ぼくは、指導員の現役時代の実技が師範をするものとしてのレベルに達したものが好ましいと思っている。

例えば水泳である。自分では泳げなくても、泳ぐ理論を習得すれば、人に泳ぎを教えることができるかもしれない。しかし、カラテはその業を習うだけでは、指導員にはなれない。その業を使うことで経験する、心理学的、運動学的な臨場感によってのみ習得でき学習に欠けるからである。

速い話が、ひとをなぐれば、自分のこぶしも痛むことを知らなければならないということである。

武道のカテゴリーに組み入れられた日本伝統の斯道の多くが、段位制を採用している。帯を道着に使用する斯道では白帯、黒帯の別がある。この資格承認の段位制はその基準が千差万別で価値評価に一貫性がない。客観的、科学的な資格とはなり得ない次第である。この基準は日本国独自の無形文化財に残された序列の体系で、琉球文化にはなかったものである。たまたま、日本国の文化に採用されたが故に押し付けられた、お仕着せなる資格制度である。木綿の帯が手垢で黒くなってこその黒帯で、染色材を用いて染めた一夜ずけの黒帯には実質的な裏打ちはありえない。カラテから段級制度がなくなるのは時間の問題であろう。

ぼくは山口剛玄の長子に生まれた。琉球の那覇で発祥し温床されていた「手」の開祖、東恩納寛量の直弟子、宮城長順に師事、京都の立命館大学に剛柔流空手部を創立して、日本国内に斯道最初の全国組織、全日本空手道剛柔会を主宰したことで知られる。

父、剛玄は国外でも、THE CAT の名前で知られていたおかげで、米国のカラテ界でも知名度が高く、その頃、サンフランシスコ州立大学の武道部でカラテ・クラブを組織していた舎弟、山口剛仙の招待で同クラブを担当、同時に同大学のフジカル・エジュケーションに、カラテの正課を創立させてもらえた。

おやじの七光りと、弟の三光半のおかげで、現在の職と経歴にあやかったのは幸運だったとおもう。他の日本からの指導員のかたがたは職場を自らの手で開墾するというもっとも厳しい業をなしとげてこられた。一方、ぼくは、据え膳をあてがわれて、きれいに準備のできた席に座らせてもらうことができたのであるから。

国を出でて外国文化の中でカラテを教えるという経歴に従事するに当たって、幸運だったのは、学生時代、拓殖大学にて二年程、同大学空手部で松涛館流系の練習を経験させてもらったことである。当時、日本協会初代主席師範の中山正敏氏、同空手部卒業生の西山英俊氏、同現役の森正隆氏、金澤弘和氏に直接師事を受ける機会があったことだろう。あの当時はまだ学生、流派別の選手権大会が挙行されはじまる、一九五〇年代のころで、流派合同の全国の選手権大会が始まる前、大学間の対校試合、流派間の交換稽古が、やがて各種の学生連盟、定期的な関西、関東で試験的に挙行され始めた頃のことである。

戦後の復興途上、流派の壁を取り壊して日本国伝統の武道を中央集権的に解体、一本化して体育協会参加の団体にして国体への参加、さらにはオリンピック種目として採用されることを目標にすることが理想像だった。体質改善の必要性が各流派、ローカルの郷土で養われたユニークな練習、体系、形を抹殺し、軽視することになり、各道場が持っていた特質、質の豊かさが色あせていくのに気がつかなかった。練習は簡素になり、形の演武と組み手の競技化が優先され、競技に勝つことのスポーツマンシップに偏向して、本来のカラテの本質から遠ざかる結果となる。

空手の競技化がいけなかったというのではない。西洋のスポーツマンシップを習得することは、確かに体術の視覚を広める。しかし、視覚は多角なままに保持してしかるべきで、勝ち負けのコンテストにばかり集中すると、その文化財の本質が単純になり、特質ある多様性が失われることになる。文化はそれを媒介する人間同様に生き物である。時代の様相に従って変化する。しかし変化するのは見かけの外観なのであって、本質は変わらない筈なのだから。

ぼくは学生にカラテの本質を説明するとき、学生が日本人なら、「らっきょう」、西洋人ならば「たまねぎ」にたとえて教える。「らっきょう」も「たまねぎ」も梅干しの種みたいな核芯を持っていない。皮の一枚一枚が本質をなしているのである。勝負を競技化するカラテも皮の一枚である。しかし、それが全てではないのだ。

剛柔会の開祖の長男ということで、ぼくは、物心がつく年頃から、今では伝説化された先人達の膝の上でカラテを習ってきた。小学校に通う頃には、基本的な形、組み手、その応用を嗜んできた。琉球でのカラテは実践組み手を許さなかったと書いた。そのフリーの組み手を考案、立命館大学のカラテ部で教え、普及させたのが、父、剛玄だったと言われる。昭和初年の頃の話である。その組み手は、間合いが近く、「喧嘩組み手」とも言われていた。

当然、関東でも、松濤館、和道流傘下の大学のカラテ部の学生達がフリーの組み手を始めるにいたっていた。しかし、その段階では、いずれの「自由組み手」にも独自性があり、使われる業、間あいに歴然とした相違があった。例えば、拓殖大の空手部の自由組ては「一本組み手」を想定したもので、間合いが、剛柔流とは全く違い、剣道、フェンシングみたいに距離を置いていた。ぼくが好運だったのは、その全くちがう「自由組手」の実践を父の道場と拓殖大学で同時に習ったことである。

あるスポーツを競技の体系にする為には、勝ち負けを規定するルールを規定しなければならない。 ぼくの父の時代では、組み手の練習が勝ち負けを決める練習でなく、実戦を仮想して、形に残された業を組み合わせそれを応用する経験でもあった。得点となる有効業の種類、タイミング、衝撃、速度などを規定することに始まって、寸止めの絶対性を全うすることが如何に困難なことかを経験した。審判員を訓練する段階で、各流の指導員は四苦八苦の暗中模索に明け暮れたものである。

おなじ、正拳突き、前蹴り、横蹴りという呼び名であっても、その業の実践は各流各派によって、かなりの違いがあり、当然その由来、理論は相互に雲泥の違いがあった。その体質の違う技を習得してきた学生達を、ルールにあわせてコンテストに参加させようとする動機を再検討するべきだったのだが、時既に遅かった。

体協に公認される為に各派が一本化になり、有効業の種類を択一的に選定することの矛盾、困難さは、一日も速く大同団結を成し遂げて、全国単位の選手権大会、さらにはこれを、オリンピック種目として登録せんとする、政治的、社会的な軋轢で、無視されたのは誠に遺憾ではあった。時間がなかったのである。

1964年6月、東京オリンピック開催を目の前にして、ぼくは渡米してきた。カラテを競技のスポーツ種目にして文部省傘下の国体組織に統合するという、「錦の御旗」の複写を夢に抱いて、サンフランシスコで、AAU 傘下のカラテのクラブを統合、まずはカリフォルニア州の南北対抗戦をきっかけに、初の合同世界選手権大会を東京で、開催する為の米国選抜選手チーム編成の為、ロスアンゼルスの大島劼氏、出村文雄氏ともども集会を重ね、おっとり刀で協賛したこともあった。カラテをオリンピックの種目にするという目標が目の前にあったからだ。

幸か不幸か、カラテは未だにオリンピックに入っていない。韓国系のテコンドウは既に参加しているというのにである。書きにくいことではあるが、正直にいう。テコンドウを羨む気持ちが全くないのである。それで良かったのではあるまいか。何故、カラテがオリンピックの種目に採用されなかったのか、理由はたくさんある。しかし、その理由なるものを呼び起こした原因そのものがカラテ本来の体質なのであって、一色のユニフォームには統括され得ない本質なのだと考える今日この頃である。

「一拳必殺」という、穏やかではない心理を想定させる体技を解体して、競技の体技に作り直そうという思考そのものに無理があったのかもしれない。ぼくが主宰するアメリカでの道場や学校のクラブでは、組み手、形のコンテストを中止してから20年余になる。10代、20代の若者達にカラテを教えて、その競技に勝たせて喜ばせることが、あまりにも子供だましに思われるようになってしまった。The Karate Kid というなのハリウッドの映画を観て背筋が凍る思いをしたのはぼくだけではあるまい。

ぼくは、仕事柄、毎日16kmを目標にジョギングするのを日課にしていた。サンフランシスコ恒例のマラソンにも毎年、参加して、23回、42.195 kmを完走して満足していたことがある。カラテの修練はマラソンの修練に似ているところがある。マラソンは一着になる為に走るのがレースの目標ではない。全行程を走り終わることである。だから、完走できたものはすべてが勝者なのである。二人の競技者がコンテストすれば、いずれかが勝者で他が敗者となるのとは、少し違うのではないだろうか。42kmプラスという距離を走り終える為には少なくても5ヶ月にも及ぶ規則正しい訓練が必要となる。5ヶ月間、毎日走り続けるという訓練の成果がレースなのであって、対抗する相手を敗者にして勝利を得るという感覚は全くない。ぼくはカラテをそういう風に教えてきた。

素手、素足を当てあって打つ体技は、相手を憎み、倒す為のものではない。相手を助け、自分の動きをさらに効果的にする為に切磋琢磨することなのである。それは意思の交換、感情の抑制、タイミングの駆け引きというコムニケーションの実践に等しい。自分勝手に我が主張を相手に押し付けては、独り勝手で、決して両者の共有する権利の自由化にはならない。自由組み手は、二組のソーシャル・ダンスと全く等しいものである。

終戦を経て迎えた20年間は、空手部を持つ各大学、クラブ、街道場は体質改善のパラダイム・シフトのおこる前夜祭ともあって、各道場の稽古は自由組み手が中心で、毎日血をみない程凄惨を極めた。敗戦という挫折感を屈辱的に味わった直後のころである。カラテの稽古はその敗北感を逃れる為のカタルシズムとなり、当然、暴力的になっていた。

ぼくの父の道場には組み手の強い、一癖も二癖もある道場生がたむろしていた。「道場破り」まがいの訪問者もあり、来れば、「五体満足のままで返すな」などという、時代錯誤な感覚まで奨励され、高校を卒業する頃から父の師範代を勤めていたぼくは、正直言って、家業が好きになれなかった。学生の頃はカラテが嫌いで、学業を言い訳に毎晩の練習をさぼることに勤めていた。大学では文学部、英米文学科を専攻して、演劇や創作を書くことに興じていた次第である。

当然、アメリカで自分の道場を経営して、日中は大学の教科を教える生活では、人種の異なる野菜サラダのような環境で日本国伝統の武道を教えることの価値の再認識をする必要があった。

ぼくはカラテの教材に関する限り、それを教える資格はあるつもりではあったが、残念ながら、体育教育の資格を持っていなかった。大学卒業の学士号は持っていたが体育部科の終身教職資格がなく同科で、教授として職につくことができなかった。だから、本年を持って48年間の在職ながら、資格は万年の時間講師だった。

もし、ぼくに、いますこし野心があれば、カラテを教材にして心理学科、人類学科、演劇学科、社会学科、言語学科の各学科と総合して、新規な比較文化学科も作れた筈なのだが、少し、悔いののこることではある。

戦前、戦中の沖縄県立の小・中学校ではカラテは体育の正課だった。 ぼくはカラテは体育に限らず、教養、教育すべての課程に欠くことのできない教材であると信じて疑いない。前述のとうり、琉球には数百年に及ぶ、外来権力者の迫害のもとで生活するという歴史的経験を持つ文化がある。マイノリテイ、もしくは植民地で搾取待遇をうける原住の島民が権力者の圧政で人権を守るとき、カラテは若者達の心身的な鍛錬と啓蒙に役立つ理想的な教材なのである。

その後、日本国伝統の武道に体系つけられて、グローバル化されたカラテを、琉球の郷土文化時代にさかのぼって、文化の復興となすという、ルネッサンス観をぼくが提唱してきた理由である。ポストコロニアリズム時代に生きるぼくたちの世代は、ローカルの固有の文化と人権を維持する為に、社会的、経済的な権力者による不平等や格差の克服から解放されなければならない使命を持っている。植民地主義の遺制による共同体に住むものたちは、支配者のもとで挫かずに生存することの必要性が要請される。権力者を倒す革命は「暴力」でしかあり得ない。階級闘争、異文化相克の社会で相反する仮想的を暴力で粛正するのは正しくない。その後に、自分が粛正される日が来るのが歴然としているからである。

琉球で育成された「押忍」の思想はモハトマ・ガンジーの非暴力無抵抗主義を上回るものだったと思う。

キリスト教徒文化社会では唯一神の創造主を主として、人間はその原罪を贖罪する為の「召使い」であるという相対関係を正当化してきた。「人間は罪深い」という、人間性の原罪観をぼくは信じない。日本には、人間の存在を肯定した感覚がある。

山道を登りながら、こう考えた。
知 に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引っ越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世
よりもなお住みにくかろう。ーーー「草枕」

夏目漱石の上の一文はぼくの世代の日本人ならば誰でも知っている。日本には規制された「人の心」を信ずる、「人の道」なる教えがある。ぼくは「人間性」をそのとうりに解釈してきた。カラテを教えながら、人間性を肯定してきたつもりである。漱石は詩と絵の世界を究極な場と想定した。ぼくはその詩と絵にカラテを加えて、アメリカ人の学生を教えてきた。ふと、気になって、名簿を調べると、過去、通算3万人に余る学生がぼくのクラスに登録していた。

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沖縄で発祥した無形文化遺産財「手い」「カラテ」「空手道」のプロファイル

 

          スポーツと武道との狭間にて
Performing Arts

山口 剛正

全米空手道剛柔会本部 主席師範

Chairman, Goju-Kai Karate-Do, USA National Headquarters

 グレコローマンというヘレニズム思想が、スポーツという、西洋の体育文化を形成する形而上学的な芯であると仮定するならば、日本古代の「魂」を信仰する文化遺産が武道という尚武の精神を形成してきたと考えることができる。つまり、時と文化の違いはあっても、西洋も東洋も、physical confrontationもしくは「人身対決」という行為を正当化しようとする庶民の日常精神生活に「宗教、もしくは精神文化」が影響しているということでもある。

 ヨ-ロッパの西洋文化にはヘブライ文化とギリシアのヘレニズム文化がその源流にある。ジュデオ/クリスチャン/モスレムの三大唯一神教のうち、キリスト教はもともとは、ヘブライ文化遺産でありながら、4世紀、ローマ帝国の正教になったこともあって、政治的な権力を確立して、西洋人の精神文化にグレコ・ローマンの帝国主義思想を植えつけることになる。例えば、原始キリスト教の信徒たちがイエス・キリストを救世主(メシア)、その母親を聖母マリアとして崇め、ヘブライ民族の予言者によるメシア思想を、あたかも、それが地球的環境で普遍的な世界の精神生活を代表する宗教思想かのように普及することになる次第である。

  すなはち、古代のヘブライ文化はキリスト教の名前で、ヘレニズム思想に置きかえられてしまったことになる。これは、日本の神道は元々は外来の宗教だったものが、たまたま、皇室の「守り神」だったが故に、日本古代史に政治的な影響を与えることになったのと似ている。日本国伝来の武道は、皇室を国体の創始者であることを認識、天皇を国体の象徴として崇めることを原則として、各斯道の指導に当たっては、神道を旧日本帝国の政治思想と解釈する旧武徳会の綱領としてその体系に従っていた次第である。

  天皇家を国体とする神道の政治学は、武道という精神生活と間係はない筈なのに、武道と神道と皇室を関係づける戦前の思想が、意外といまだに、とくに、右翼団体の史観に残っている。

 沖縄発祥の「手い」も旧武徳会の綱領に基づいて、「日本伝武道」として認可されたが、従来の皇室を絶対視する思想にはなかった、琉球独自な形而上学的価値観念、「人に打たれず、人打たず、事なきを得る」という独自な「自他共存」を評価する思想があった。これは、ヘブライ思想を日常の生活基準とするユダヤ民族のデイアスポラ共同体で温床され、民族遺産を継承して来た、ラビ・タルムッドの思想に共通する。これは21世紀というポストコロニアリズムの時代にふさわしい感覚であり、日本国伝統「武道」の評価に結びつくものであると信じて疑わない。「武道」という、Way of Life の解釈も新しく評価するべき時が来ているのではないだろうか。

  武道の真髄、もしくは、What is Budo ?  という疑問に回答を与えることで、カラテと空手道の違いを「定義」する事ができるかどうか、定かではないが、ある種の試みにはなるかも知れないので、愚説をここに言及してみる。

  もっとも卑近な定義は「武道は、見せ物ではないんだ」という表現だろう。

  筆者はたまたま、高校生時代から、文学や演劇を趣味にしていたので、ひとの前に自分を晒す事に慣れていた。公衆を意識して、自分の作品を朗読したり、自分の「演技」を披露することへの、心理学的な抵抗は全くなかった。しかし、カラテの形、組み手、試し割りの演武だけは、気が重くて、好きになれなかった。おかしな表現だが、下着、もしくは、裸体を大衆に曝すような気にさせられたものだ。もちろん、昇段級の規定に従っての「演武」で、審査員の前であれば、そんな自意識を覚えなくすんだが、一般の観衆を前にすると、見世物にされているようで、いやだった。

  どこの流派にも「格式」というものがあって、その派の「形」「組み手」がその流派を象徴するアイデンテテイでもある。だから、それを、正確に習得することが義務付けられ、これを演武するにあたって、真剣勝負と同じほどの緊迫感に耐えるだけの心理学的な耐久力が必要となる。自己存在につながる流派への責任を全うしなければならないのであるから、「遊び」半分での演武は許されない。

  昔、江戸時代の末期に主家を失った「浪人」が、街頭で自得の秘技を、「施し物」目当てに見せる事を恥じたのは、自分が武道家でありながら、自分のプライベイトなアイデンテテイを商品のように売る行為を邪道であると自覚していたからである。

  武道が見せ物にならないのは、武道が演芸、演劇、演舞が持つ、Performing Arts としての体質を兼ね備えていながら、これを、観客に披露するにあたって、形而上学的な自己のアイデンテテイを他人に露出しなければならないという、自意識のためだと思っている。それは、あたかも、自己の宗教儀式を大衆の前に披露するようなもので、精神的な教理を、金欲の為に売り物にすることが、演武者を侮辱する行為に等しいからであろう。武芸者が金銭を目当てに、自分で修業してきた技を、路頭で「見せ物」にすることが、正しくない行いになるという評価ができた次第である。

  筆者は武道の本質には「生死をかけた」対決を神聖化する思想があると解釈している。

 古い言葉でいえば、「真剣勝負」を究極の目標にした感覚である。しかし、沖縄発祥のカラテは「勝ち、負け」の感覚ではなく、相手に討たれず、相手を討たぬ為の(生死をかけた)対立であるから、剣闘を真剣で果たしあう行いとは違う。

  カラテの場合、相手の生命を奪ってでも、勝ちを取るという対決ならば、時間にして

2分間以内に終わり得る。しかし、我が身の生命を守り、しかも、相手の生命も護る対決となると、闘争は一時間も二時間も続く事にならざるを得ない。肉体的にも、精神的にも、数時間にも及ぶ対戦を賄い得る、耐久力を養わなければならないということである。

 

 昔の合戦では、武士は走れなくなった時が「死ぬ」時だと考え、合戦中、終始全力で走り続ける訓練をしてきたものだといわれる。必要な限り走り続けられるだけの耐久力があるというのは、武道、スポーツ競技の違いにかかわらず、闘争の基本的な必修条件であろう。しかしながら、武道の真髄はスポーツとは異なり、競技の勝ち負けを査定するルールに基づいて、コンテストに勝つことではなく、自分が殺されるかも知れないという事態に遭遇して、如何に自分を守るか、もしくは、自己の安全を期して、相手を倒すか、生かすかという状況における「対決」に必要になる体力と知性を訓練することである。

  カラテという体術を「生死をかけた」対決に応用するには、その技が効果的であるように、自分の身体を心理学的に、精神的に、肉体的に訓練することが肝要である。その訓練の体系を、青少年に指導する為の「教材」にすることに意義ができる。さらには、この教材の思想を伝搬することが、新世紀の地球という環境に住む全人類の共存、「多文化共棲」の社会学的な思想を肯定することになるのであるから、そのメンバーとなりうる人格を造り上げる「哲学」もしくは「思想」に等しい。これが、未来に投射された「武道観」の理想的な基本的な教養に結びつくのではないかと考える次第である。

  問題はこの人間相互の対決という教材が、果たして、西洋で発展した体育教科であるスポーツマンシップの知性にもとずいた、「競技」に同化されうるかどうかということである。生死を賭けた対決を、競技化するということは、徒競走のスピードや、重量挙げの力のレース(競争)をすることとは違って、優劣の判決の方法如何では、競技化すること事態が弊害になってしまう怖れがあるからである。

  青少年に、人間同士の「力の対決」を、勝ち負けで判定するという、姑息な感覚を植え付けることの是非を再考しなければならない。「力の対決」を競技化することで、社会学的に、道義的に、人道的な価値観念を間違って教えてしまうかも知れないからである。「勝つことを」価値付けた観念。競技なのだから「勝たねばならない」という、単純な価値評価は「多文化共生」を目標にする共同体には不条理となる可能性がある。

  人間は誰でも、他人に勝ちたいと願う欲望を持っている。しかし、社会学的には、個人的な勝利が、その個人の政治的な立場を危険にする場合もできるだろう。沖縄の方々はそれを、自然的な環境、政治的、社会的な実生活で、習得してきた次第である。

 沖縄発祥のカラテには「勝ち、負け」を評価する感覚はない。各派の祖が自由組み手を奨励しなかったのもその証拠である。

 今ひとつ、心理学的な副作用かもしれないが、負けたと意識した時に作用する「敗北者」の自覚が及ぼす抵抗、だれもが嫌がる、不健全な自意識である。敗北者(ルーザー)のレッテルを嫌って、自己否定もしくは「自滅」の心理状態との葛藤を味わうことにもなる。自決を正当化する思想すら成文化される次第である。「生きて俘虜の辱めを受けず」という、旧帝国軍人の「戦陣訓」は、実戦の経験のない若い将官が、自決を美化して解釈する危険性があった。「ひめゆりの塔」「健児の塔」の犠牲者たちは、美化された「思想」の被害者だったとのではないか。

  昭和初期から第二次世界大戦の敗戦まで歌われた軍歌に「天に代わりて不義を打つ」の一句で始まる、軍歌があった。この「不義を打つ」という感覚であるが、これは、絶対的な「善」を個人が代理して、絶対的な「悪」を討つという神命を受けて、これを成すという意味であるから、日本人本来の心情というよりも、グレコ・ローマン的なキリスト教の思想に影響されているように思われる。日本人には敵対する相手を「仇」という相対的な「悪者」とする感覚はあっても、「悪魔」という絶対的な「悪」は実在しなかった筈なのである。

  新世界を呼称、自由の土地を自分の手で開拓して、私有財産を築き上げるという、西洋人の夢をかきたてられて、アメリカ合衆国に移民してきた開拓者たちは、先住民を社会政治的な文化がないことを理由に、(もしくは、原住民の皮膚の色が濃いので、)彼らの人権と財産を認めずに、我が物にしてしまった。キリスト教には彼らの「神」の「申命」に従うことを「正義」と考える訓練があるから、他人の土地に侵略してきている認識はなかったのではないか。

 だから、火器を所持して、自分の生命と、自分が開拓した土地を守るという「自己防衛」の精神は、西洋人の正義感に結びついて、自分を守るためには、自分を犯すものを殺害することさえ正当化された。沖縄の斯道の先覚者たちはが、「人に打たれないよう」に身を守ることは正当化したが、「人を打つこと」を否定したのと、根本的な違いがあるといえる。

  皮肉な話であるが、米国合衆国では今世紀にいたるまで、一般市民が他人を殺しても、その行為が、わが身を守るためであったことが立証されるならば情状酌量される。同国市民の火器保有権がで社会問題にもなっていることを考察しなければならない次第である。基本的人権が平等であることを主張する市民生活にあって、市民相互間の暴力行使を自由、平等化することは、感覚的には納得できても、人類の暴力の歴史を考慮するならば、即刻その対策を検討されるべきである。暴力の行使は仮にそれが自衛の結果だったとしても、理論的には暴力そのもの、すなはち、暴力の行使を触発させた動機の如何にかかわらず、自己以外の者を致死、傷害できる権利は、いかなる市民といえども、皆無であるはずである。

  カラテに限らず、ボクシング、レスリング、フェンシング、柔道、テコンドウ、という格闘術は、これに熟練したもの達の知性、感覚、生理学的、心理学的な心身の状態次第で、凶器になる。上記のアメリカの社会問題で、火器を家庭に保管できる法律を支持するものは、「銃には意思がない。これを扱うものの責任である」ことを強調する。だから、「正しい銃の取り扱いのできる、所有者を養育することで、銃による暴力を制御できる」と、強調する。事実はその逆である。アメリカの社会で頻繁に起こる「無差別傷害の事故」は今世紀に至っても制御されていない。この種の事故は、銃の保有を制御しない限り、なくならないであろう。

  すなはち、銃と言う器具に、これを使用する所持者の動機の誤りを正す機能があって、動機次第では、引き金を引いても、弾丸が発射しないという、安全装置のメカニズムがない限り、銃を所持する権利には、法的な資格が定められなければならない。だから、上に紹介した格闘術は、これを実用するにあたって、相手の身体に危害を加えた場合、当然、暴力になりうる。しかし、琉球で温床された「手ぃ」は、凶器にしないための訓練がその練習法に含まれているがゆえに、凶器になりえない。それはあたかも、安全装置仕掛けの銃のように、相手を倒さないというメカニズムが要求されているからである。

  空手家はこれを「寸止め」と呼ぶ。

  すなはち、後、日本列島の大和民族は「一拳必殺」という言葉で、カラテの威力を表現したとうり、正拳を例に挙げれば、正拳のひと突きで、人を殺すことができるほど効果があるのであるが、沖縄の先人は、練習中、それだけの威力のある「拳」を対主の身体の一寸前で止める訓練を主張した。当たれば即死だが、その「突き」の目的は当てるのではなくして、標的の寸前で静止するか、突いた拳を引き手の位置に戻す状態にすることを強調するのである。

  これが、「人を打たず」の実例でありメカニズムである。

「人に打たれず、人打たず」は、しかして、思想的な教訓だけではなく、習得されるべき技の中に実技として体系化されているのである。だから、「拳闘(ボクシング)」のように、相互が打ち合う格闘技とは根本的な相違がある。カラテの拳は、巻きわらで拳を鍛えてあっても、組み手では、いかに緊迫しても、これを、相手に接触させないことを第一条件にするから、突き業ひとつを取ってみても、業の制御の美的感覚を観察することができる。蹴りも同じである。相手の胴着に接触しても「寸止め」ができているから、相手の身体に当てて、相手を昏倒させる蹴りと比べて、質的な効果を鑑賞できる。すなはち、日本国の弓道に観測される、型の美が業の質を高邁にするという価値感覚である。たとえば、射た矢が標的に当たるという事実よりも、弓を射る形の造形美に業の質を評価する感覚の美術性にある。ということは、空手道は身に寸鉄を帯びずに、闘争するおこないを、知性を駆使したクリエイテヴィテイ(創造感覚)に基づいて、 規定された「鋳型」の体術だといえる。型に備わった美的な動きが独自のものである。西洋ではこれを、Performing Arts (観演美術)と名づける。

   武道としての空手道は見せるものではなく、競技としてのカラテは観客を動員してのスペクてイターを前提にしたパフォーミング・アーツ(performing Arts) であるから、同じ演武でも、演武の体質が違う。空手道の組み手と形を観客の前で対抗する場合、審査の規定に従って演じる技術は、バランス、スピード、タイミング、技の破壊力、技の調和が制定されていること、標的に確実に達していても、「寸止め」による、正確な制御技で決まっていること等、高等な技量が要求されるべきである。審査を簡単にする為に、有効技を制限してしまっては、沖縄伝来の複雑、多様な技が全部なくなってしまうのは時間の問題であろう。拳で当てれば、致死の威力がある技を、一瞬の判断で、開手技にするという技量も、人に打たれず、人を打たずの価値観念に繋がるというものである。要は危険な業を禁止するのではなくて、その業を応用するものが、とっさの機転で、相手を保護するという業の変化に長ける機能を会得するべきことではないか。

 格闘という体術に、コントロールという制御の「創造美」を備えた空手道が身体美術である所以である。この体術を形而上学的な思想として、青少年、成人教育の教材にすることが、武道の目標である。

 果たして、カラテを競技化することができるか!? 

 対決者の生死を懸けた素手、素足の格闘を遊戯化して、これを動員された観衆の前で公演するという、大衆文化行事は古くはギリシアの古代オリンピックの行事を筆頭に、古代ローマ帝国時代の一連の剣闘士(GRADIATORS)祭典にも残されている。人間同士あるいは人間対猛獣の死闘を、観客の娯楽として奉仕するという文化は、西洋史の文献、遺跡にも残されている。徒競走に始まって、人間同士の肉体、体力のコンテストは、西洋ではスポーツ行事というカテゴリーに残されているから、東洋文化の「武道」も、見かけの行事から察して、その競技化は可能であるはずだった。

 1945年、第二次世界大戦終終了後、大日本帝国武徳会傘下の通称「武道」の各斯道は、マッカーサーの占領政策のパージ(粛清)の対象に触れ、活動停止の処分を受ける可能性があった。初等教育の教材でもあった、柔道・剣道・弓道とともに、空手は軍国主義、ファッシズムを青少年に養育するものだと危険視されるにいたって、斯道を存続させてもらうためのスポーツ化が唱えられた次第である。当時の文部省傘下の体育協会を都道府県を中央集権化する体育組織体が上記「武徳会」に替わり、各流派ごとに組織されてきた空手界に、「拳の壁を破って、技の統一をする」という、流派の大同団結の標語が掲げ上げられた。

 

戦後20年間の復興期は、敗戦という挫折感、旧政治体制崩壊による、パラダイム・シフト、さらには、戦勝者ならびに西洋文化体制に同化すべしという、社会思想が混乱するなかで、空手家を任じる指導員たちは新しい体制の中で斯道を如何に維持するか悶々とした時期でもあった。空手は武道の中でも最も歴史の浅い体道である事が、その体系を改造しようとする日本国本土の愛好家たちにとって、良い意味でも、悪い意味でも幸いしたものだ。何故?

  沖縄本島は鹿児島県の南西、約千キロにわたり、連なる、南西諸島にあり、地理的には東シナ海中の台湾近くにまで至り、歴史的には1609年日本の薩摩藩の侵略を受けて以来、日本国の植民地的な領土とされ、その後、明治政府のもとで、強制的に日本帝国に組入、1879年をもって日本国沖縄県にされるという独自な政治的、文化的な歴史がある。したがって、地元で「手い」と呼ばれた、体術文化遺産は日本国本島のものから、カラテ(唐手)と呼ばれ、エキゾテイズム(異国情緒)の感覚を備えるユニークな外来文化遺産としてのイメージを特色にする時代があった。

 空手道は、1937年5月、日本帝国武徳会に日本伝武道として認可されるまでは、「唐手拳法」という武術として日本国本土に紹介された。この普及化に貢献したのは、沖縄出身の諸師範に直接、指導を受けた、関西、関東の大学空手道部の学生たちであった。当時のカラテ道場は門外不出の練習法に徹して、流派の格式、綱領、規定にのっとるもので、他流試合は厳禁されていた。しかし、学生たちは、これを相互に公開しあい、すすんで、交換練習を始めたものである。

 京都帝国大学の柔道部が1928年に沖縄在の宮城長順師範を招聘して、演武会催したのが古い記録として残されている。カラテを日本本土に伝播するに当たって、各大学の柔道部が貢献したという事実は、意味深い。俗称、少林寺拳法は古い中国拳法で、江戸時代に輸入さてた「柔術」の母体であったからである。

 沖縄には中国拳法が伝来する前の「手ぃ」があり、独自な体道が温床されていた。内地の学生たちは、伝統的な形演武、約束組み手の訓練だけでは飽き足らず、柔剣道、相撲の練習法を真似、沖縄在の先覚者の戒めを軽視して、チョッパーもしくは自由組み手と呼ばれた実戦組め手を考案し、沖縄在の先覚者たちの憂いにも関わらず、斯道の普及、近代化にこれ努めた。

 沖縄の師範方がこの動向を、戒めだけで、学生たちを懲戒処分にしなかったのは、大和民族を任ずる本島の日本人に対する遠慮があったことは間違いない。学生たちは、自分たちだけで勝手に自由組み手に熱中し、これを他の空手部と混じり、交換稽古と称して、公開演武も始まっていた。たまたま、国中が満州ほか各地の植民地を確保するために西洋諸国と並んで国防体性の軍国政治の渦中のことである、武道を学ぶものは当然、これを、戦闘的な体育訓練と自認していた。

 そして敗戦を招き、愛好する斯道の存続すら保障されない占領下にあって、伝統文化の保存にはその体質を西洋文化に似せて改善することが、改革的な新感覚であることを自覚して、「武道」という言語を含めて、旧帝国軍国政策に関与する主義主張を否定、

デモクラシーの名目で、教育、憲法、日常生活を西洋化することを推薦したのも大学の教授、学生たちだった。

 空手部の存在する関東、関西の大学の学生たちは「精神訓練」という修身教育を排撃、西洋文化のスポーツマン・シップを求めて、各流派に残された伝統的な格式を退け、進んで、組み手の競技化、さらにはこれをチャンピオンシップ(選手権大会)への組織化を始めたのも各大学の空手部学生であった。マッカーサーの占領政策と各大学の空手部の学生と、たまたま、その路線が並列していたのは、その時点では幸いした。

 たとえば、立命館大学(剛柔流)と拓殖大学(松涛館)の空手部との間の、交換稽古は戦前から始められていたから、戦後、両大学の空手部が復興するに当たり、両空手部の学生は恒例の演武交換稽古の行事を再開していた。上記の大学以外でも、関西では糸東流の同志社大と関西学院大、関東では、早稲田大学(松涛会)慶応大学(松涛館)、和道流の、東京大学、日本大学、明治大学等々の諸空手部が各自に交換練習と称して、演武会を催していた。同じ松濤館でも先輩が「鉄屋グループ」と空手協会のグループでは形と組み手に違いがあり、同じ松涛館でも松涛会は自由組み手を許可しなかった時代がったから、同じ流派でありながら、「形」や「組み手」の競技を一堂に会してすることすらできない状態だった。

  従って、交換稽古は相互の形、組み手を見せ合うという演武会でもあり、自由組み手は勝敗を規定するルールのない、文字どうりの自由な乱取りを相互に試しあう交換稽古も企てていた。もちろん、寸止めの規制を前提にしての交換稽古だったが、各大学の組み手は、その「間合い」から、突き、打ち、蹴り、投げの技は違い、「当てるな」「当てるな」と叫び合いで行われた「組み手」の交換稽古は惨憺たるもので、骨折、脱臼、鼻は折れるという怪我は当然ながら、手の平の、中指と薬指が二つに裂けるという、重傷者まで続出したものだ。

 当然、大学関係者の空手部では、果し合いのごとき組み手ではなく、競技化された組み手の体系の研修がはじめられ、競技化の為の審判、規約、選手権大会の一本化、統一化を促進するために、関西・関東別の大学空手部連盟なるものが組織つけられた。現在の学空連の前身である。

 空手を媒体にして友好的な人間関係を作り上げようという社交的な価値評価が「武道」というかび臭い旧習を嫌う新しいスポーツマンシップに価値を見出そうとした戦後の学生たちは、武道を競技化することの弊害に気がつかなかったのは、無理のないことだった。彼らは進んでスポーツ空手を新時代の夢にしたものである。かくして、国を挙げて、中央集権化された選手権大会である国体に空手を傘下団体とするために、流派を解体、業の単一化、形の統一化、理想化された次第である。その結果、競技のルールを作る過程で、組み手も形も、技は簡易にされてしまい、各流派の独自な形も技も取捨選別されてしまう結果となる。

  現在残されたスポーツカラテの組み手も形も、伝統的な沖縄の形、昭和10年代の組み手とは全く違ったものになってしまい、(スポーツカラテに専念されている)各道場には、昔あった、ローカルの独自な形も組み手もなくなり、沖縄伝承の日本国無形文化財である筈の独自な体術が見る影もない。

  競技のスポーツの対戦は競技者の肉体的な安全性が第一義となる。身体障害になるような要素やルールや思想は、徹底的に粛清しなければならない。しかし、カラテの技が

危険なのは当然なのであるから、これを、防止する為に、技の種類を省略、防具の考案、判定の簡易化を図って、斯道の文化的独自性を失うことがないことを第一義するべきではなかったと、反省する次第である。如何ほどに危険が伴っても、「寸止め」の技は参加者が必ずマスターする訓練を保つこと。当てては危険だからという理由で、本来の技に必要な、業のスピード、衝撃、破壊力失わせるような、ルールは作るべきではなかった。特に、その制御力を庇う為の、防具の着用は、斯道の独自性を失う結果とは相成ったと思う。カラテは仮に競技であっても「遊び」にしてはなるまい。防具を着用して当てあう突き、蹴りの競技は、カラテが持つ緻密な、ぴちっと決まる技と力を蔑ろにするからである。

  いまひとつ、日空連創設を準備する為に当たって作った、試合規定、審判規定

は一日も早く国体に参加したい為に作った(即席な)「規定」だった。根本的に改正しなければならない不完全な「規定」でもある。いまさら、改訂を進言しても聞き得れてもらえるかどうかは疑問ではあるが、オリンピックという国際的な催しに、日本国伝統、国技としての「空手道」の名称で採用されるに匹敵されるかどうか、疑問に思う。

 

この稿を書き出す少し前、本年5月29日付け、IOC 理事会で2020年の夏期五輪の新競技の選考が行われたのは周知のことである。「カラテ」は、また、最終候補の三競技にさえ残ることができなかった。筆者が興味深く思ったのは、本年2月の理事会で、「レスリング」という、古代グレコ・ローマン文化を代表す種目が近代オリンピックから除外されることになった こと。それにしても、「テコンドー」が残されたのは、皮肉な現象である。「カラテ」が採用にならなかったことについては、 悲観はしていないつもりである。オリンピックを目指している WKF の現在の審判規定では、オリンピックというスポーツ祭典のルールとしては、少しお粗末で、魅力ある沖縄伝統のヴァラエテイに富む変化技を屈指した競技の体 質は造り上げられないというきもちがあってのことである。

 「突きは1点、中段蹴りは2点、上段突きは3点」としたり、「8ポイント差」を制定しているそうだが、競技の体質そのも のが変わってしまっていることを懸念するものである。まず、10年間程の時間を費やして、「寸止め」の徹底した技の習得からやり直す必要があるのではないか。

  昔あった、手刀、背刀、開甲拳、貫手、裏拳、指狭、鶴頭、底掌、猿臂の手、腕技に足刀、踵蹴り、を用いた、後ろ蹴り、二枚蹴り、三角蹴りの飛び技、膝当ての当て業、更には各種各様な投げ 技も復活して、防具を付けずに、寸止めの技術を駆使して体術にすれば、審判方法もそれに従って、複雑ながら、魅力あるものになると信じている。

 オリンピックは政治的な INSTITUTION になっている昨今、スポーツを振興する団体だけでは国際政治の諸問題を解決することはできない。個人的には、オリンピック種目になることが果たして斯道の為になるかどうか、疑問もある。あまりにも、政治化された興業団体になってしまっている現状を杞憂してのことである。

 サンフランシスコの市長が意識的にオリンピックの開催を 否定したことさえある。アマチュア・スポーツの祭典とは、夢物語になりかかっているのではないだろうか。とは言うものの、100歩譲って、オリン ピックに、なにがしらの希望を持っている関係者もいることだから、カラテがオリンピックの種目に採用される可能性について、その案をここで紹 介してみよう。

  現在の WKF の政治力では IOC の理事会を説得できかねる。WKF で促進されてきた組み手、形の体系が固まってしまって、これを、変革するには10年以上の時間が必要になるだろう。筆者が考えるのは二つ、カラテの名称 でオリンピックに入るのは諦めて、Martial Arts として、北京オリンピックで試挙されたカテゴリー、「極東部」にカラテ、テコンドー、中国の「武術」を別々に独立した種目を作ることである。テコンドーの師 範方は昨今のテコンドーにしてしまったことを、後悔されていらっしゃるはずである。最近また人気の出てきた、「少林拳」の関係者の間ではオリンピック参加 に積極的のようであるから、話し合えば、カラテを含めた、「マーシャル・アーツ」の部門で、全く新しい「体技」種目、国際的な話し合いで、できるかもしれない。中国の経済が伸びつつある。文化経済のプロモーションに余念がないようなので、それに、便乗することも可能ではないかと考える次第である。

  いまひとつ、近い将来、那覇市で夏期五輪を開催する旨、IOC に提案してみること。時間はかかるだろうが、一旦、開催国の HOSTING CITY になれば、沖縄のカラテ団体が結束して、相手を傷つけない、理想的な「体術」の競技の見本を披露することで、新しい「手い」のスポーツを紹介できるという ものである。

  オリンピックという国際的な体育祭典に参加できる程の体系を作るならば、まず、その審判規定と審判員の技術に今ひとつ、その向上を図るべきである。防具を使用して、 怪我を防止しようとしたテコンドーの失敗は、防具、判定器具に終始したため、 肝心要のテコンドーの優秀な体技を破壊してしまったことだと思う。空手道も参加できる選手の技術の向上に専心して、武道としての空手道の技を採用して、昔の独自性のあるカラテに戻すべきではいか、と思っている。

  たとえば、試合コートひとつをとっても、なぜ、四角の方形でなければいけないのか。四人の副審に固執しなければ、円形でも良いはずである。組み手の「間合い」に一定の間隔があり、フェンシングのような前後に動くフットワークに限定せずに、左右、円形のコマのように回転しながら360度いずれの角度からの、独自性のある攻守があっても良いのではないか。主審ひとりで、四人の副審による方形でのコートでの判定以外に苦心があってしかるべきだと思うのである。

  試合の判定に使う電動式器具の応用は一考の余地があると思う。フェンシングやテコンドーが採用している、掲示板に標的に当たったかどうかの明かりが付くのは、剣や拳の先が標的に当たったかどうかを査定するだけで、有効打を確定する検査とはなりえないからである。レーザー・ビームを採用して、突き、蹴りの正確さ、と衝撃の精工さが確実に測定できる器具を開発すべきであろう。

  有効打を認識して、主審がコンテストを一時中断するという審判規定も再考する余地がある。1分間、2分間、3分間の規定のなかで試合を中断することなく、有効打を主審、副審のそれぞれが得点の記録をして、所定の間隔で、これを合計して優劣を判定するという方法を使用しても、将来のためになる筈である。防具は全く着用しないか、最低限にとどめて、選手の高度な制御力の質を高めること。突き、打ち、蹴りという攻撃技は相手の防具に当てるという行為ゆえに、技の切れがなくなってしまうというもである。

 

 昭和10年代の各流派では自由組み手の間合いが違っていた事は、すでに、指摘した。それは、松濤館と和道流の場合は、5本組み手、3本組み手、一本組手という「約束組み手」を改良して、前後に動く、直線的な運歩を自由組み手にしたこと。剛柔流では実践を想定して、対手の腕の長さの「間合い」で突き、蹴り合う組み手で、くるくる回る独楽のような組み手も応用していたから、戦後の競技用の「組み手」とは違っていた。短い間合いの組み手の「効用」がなくなってしまっているのではないか。

 

 自由組み手は、昔は、もっともっと、複雑で、多様性のあるものだったのである。

  次に「形」の競技だが、ここでも従来の「多様性」がなくなっている。「教材」の形は、数が多い程、「演武」とその審判に変化ができてくるもだろう。パフォーミング・アーツとしての競技は、フィギュアー・スケート、体操競技と同様に、もっともっと、「形」を採用して、各流派では異なっている各様な「形」を自由に選択できることが肝要である。新規な将来の案であるが、演武者が自分でこしらえた、「形」を「自由形」のカテゴリーで披露することだって考慮できるのではないか。英語のCREATIVITY( 創造性)という表現のある、コンテストを目的にしたパフォーミング・アーツだから、テーマの選択は出場する選手に一任しても良いはずである。

  これを審判する為の演武規定、採点規定は複雑で高質な技量が要求される。

 その感覚が受け入れられれば、これを「組み手」のコンテストに採用して、「形分解」を数人のチームで演舞して、他のチームと対抗するというカテゴリーも可能性がある。競技、もしくは観衆に見せる演武ならば、音楽を使っても良いし、観客を楽しませる為の、興行的な知的センスで、今行き詰まっているスポーツ競技、エンタテインメント を目的にした 娯楽用のカラテだってできてくる筈である。

 むかし、リズム・カラテというカテゴリーがあったが、これも、将来の可能性のひとつである。義務教育の為の教育「教材」、武道としての「教材」、リクレーションとしての「教材」の違いは、それぞれの、師範、組織、インストチュウションではっきり、区別されるべきであるが、パフォーミング・アートとしての斯道の将来の可能性は多様である。

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Norimi Gosei Yamaguchi

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Karate: an Intangible Cultural Heritage
– Evolved within a Diaspora –
Minority Commune
Synopsis/Pre-reading for April 24, 2014 and July 31, 2014

Lecture by Gosei Yamaguchi

Synopsis

April 24, 2014

The karate instructors, in Okinawa, refer to the purpose of learning the art of karate

through the phrase, “hitoni utarezu, hitoutazu, kotonaki, kotowo, mototosuru.”

Translated, this means “…thus no one can harm you nor can you harm anyone,” and as

such both parties survive without hurting or eliminating others.

Another phrase they would introduce to you is, ”karate ni sente nashi” which means

“karate practitioners do not make the first move.” The practitioner never initiates a

confrontation; the first action taken by you is to defend yourself from an individual who

intends to harm you physically. This concept is reflected in all kata in that kata always

begin with a block. However, you counter this first attempt of defense by an offensive

move with all katas concluding with a defensive move.

Many have understood the principle behind karate as a discipline of self defense. And

yet, this interpretation has been mistakenly used to justify an act that could be used

against the offender that would punish them, and if necessary, fatally harm them. In

some Christian societies, there is a sentiment to justify an act of violence if that violence

was a result of defending one’s self or family.

On the other hand, ethnic cultures who are a minority within the community or a host

nation, develop a wisdom in order to survive – they have learned that it is not

advantageous to harm a member of the authority class or a member of the majority.

Within a ghetto or minority commune, the legal and civil rights of the minority may be

poorly protected by the host state or authority, therefore, their acts of self-defense will not

be protected.

Ryukyu or Okinawa once was a colony of the Satsuma clan of Japan and consequently

became a prefecture of Japan during the 19th century. While the islanders are now

Japanese citizens, they have maintained their traditional social ethics as reflected by their

cultural heritage.

Between 1930 – 1940, university students from mainland Japan were attracted to the

exotic Okinawa-originated martial arts, 唐手. They referred to this art as “karate” which

means “Chinese hand.”

This group modified the Okinawan art to include free-sparring forms despite the fact that

free sparring was strongly discouraged in Okinawa by Okinawans. At the end of the

Pacific War, during the U.S. occupation of Japan, General Douglas MacArthur purged

Budokukai, the Japanese legislature of martial arts. He and his staff were threatened by

the very institution which promoted military aggression of the Japanese empire.

Consequently, most of the martial arts as well as karate, were reformed into a competitive

sport in order to survive during the U.S. occupation of Japan.

It is my view that the tournament aspect of karate represents only a part of the art. I have

reminded the karate society in Japan to reevaluate the origin of the art as it evolved in

Okinawa. I suggested to my fellow instructors in Japan that their teaching method and

practices be more closely informed by teachings from the era of Okinawa, bringing about

a renaissance of karate. The athletic events of contests originated in ancient Greece. The

Olympic events started as far back as 6th century BC. The contest aspect of events in

Hellenism also contributed to the spectacles for public entertainment. Romans adapted

these ideas into the contests among gladiators of which we are familiar today.

To make martial arts more palatable to the authorities of the West, the practices were

converted into sports events as a political gesture to acquiesce to the war victors. This

enabled the arts to continue and the associated heritage maintained.

Since the reformation era beginning in 1864, the Japanese swiftly converted their

political and social structure into a nation state adopted from the European political

structure. According to 19th century historians, ancient Greek political philosophy

influenced Western culture. The concept of nationalism derived from the Greek political

philosophy, “big nation with big roots.” To convert the art of karate into the western

concept of sport was successful from a political point of view. However, in the process,

most Japanese karate instructors lost the thread in that they had lost the origin of the art.

The terms “post-colonialism,” “nationalism,” “globalism,” and “multicultural nation”

have been offered by scholars of the social sciences as concepts for intellectual discourse.

In this lecture I will explain to you the metaphysical ideals taught by the karate founders

in Okinawa and how these ideals fit into the modern multi-cultural nation (such as the

U.S.) as well as global society of our time.

Synopsis

July 31, 2014

The narrative of the Tower of Babel (Genesis 11.1-9) describes how the variety of

different languages confused people, and therefore, instead of remaining in one

centralized community, the people scattered throughout the face of the earth.

That event has come to symbolize a condition which has not changed since those biblical

times. Our current international political society is composed of nations where

populations speak different mother tongues and are of different genetic make-up. This

has led to suffering among many particularly among the immigrant minority within the

hosting nation.

For example, the United States’ constitution and its various laws and regulations serve to

protect the basic human rights of the individual, including minority citizens. The United

States could represent a microcosm of a multicultural society, and extendable to the world

at large.

The Okinawan concept of the art of karate is effective as an educational tool to establish a

common sense of global citizenship. Every citizen needs to develop a mentality whereby

coexisting with different groups of people is a critical component of its values and

ideologies. To pass these values on to our children so that they are ready for that society

which then enables the society to flourish, we need an educational model to build the

mentality.

The Okinawan mentality, “hitoni utarezu, hitoutazu, kotonaki, kotowo, mototosuru.”

would be effective to shape such a society.

The traditional hierarchical society, has groups of minorities who suffer and are

victimized by the hosting majority people and the authority the majority possess. Some

of those victimized have experienced many generations of anger, regret and envy. As

quoted by scholars of sociology, there is a significant sociological and psychological

tendency for a member of the minority community to feel some degree of hostility toward

the majority. The French term, “ressentiment”, is thus applied.

The late August Wilson, an African American playwright wrote the Pulitzer Prize

winning play, “Fences.” Here he presents a significant example of the black American

society and its resentment toward the majority.

We all could be a minority in one way or another due to our mother tongue, gender, racial

and physical appearance, financial status, political beliefs, educational and career status,

and even religious beliefs.

In this lecture, I would like to point out how to understand an exploited group of people

by studying “ressentiment” and how the Okinawan concept can ameliorate our

understanding of the multicultural world.

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Copyright © 2015 by Norimi Gosei Yamaguchi and Goju-Kai Karate-Do, U.S.A.

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本稿の著作版権は、著者Norimi Gosei Yamaguchi  の名義で、

個人の無形財産 (Intellectual Property) として、

日本国著作権法およびベルヌ条約ほか国際条約により保護を受けております。

無断で複製、配布できません。

 

各章単位の複製、転載は書面にて、下記の住所宛お問い合わせのうえ 、

著者の了解をお取りください。  

  

Norimi Gosei Yamaguchi

c/o Goju-Kai Karate-Do, USA

National Headquarters

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Can a Martial Arts
Theocracy Strengthen Liberalism
Are Liberals Too Tolerant of Islam? Ben Affleck, Bill Maher,
Sam Harris, Nicholas Kristoff Debate
LECTURE ARTICLE FOR APRIL 23, 2015

BY GOSEI YAMAGUCHI

SYNOPSIS

On October 7, 2014, on Bill Maher’s Show, “Real Time”, Sam Harris collided in a

discussion with Ben Affleck, provoking an extraordinary amount of controversy.

Sam Harris is a neuroscientist who is labeled as part of the “New Atheism.”

For those who haven’t seen the show, I have included a couple of links to videos at

the end of this synopsis. Most of what I disclose here won’t make sense unless you

consider that the paradigm Harris represents differs from the theocracy Harris is

accusing. Harris appears to believe his value contains absolute justice, and

therefore, the value built on any other theocracy he considers as filled with “bad

ideas.”

The most controversial thing Sam Harris thinks he said on the show, according to

his blog, was “‘We have to be able to criticize bad ideas, and Islam is the Mother

lode of bad ideas.’ This statement has been met with countless charges of ‘bigotry’

and ‘racism’ online and in the media.” Harris continues to justify himself, “…

imagine that the year is 1970, and I said: ‘Communism is the Mother lode of bad

ideas.’ How reasonable would it be to attack me as a ‘racist’ or as someone who

harbors an irrational hatred of Russians, Ukrainians, Chinese, etc.”

Harris states “This is precisely the situation I am in. My criticism of Islam is a

criticism of beliefs and their consequences—but my fellow liberals reflexively

view it as an expression of intolerance toward people.”

The statement Harris made, “Islam is the Mother lode of bad ideas” is, in fact, his

judgement of Islam. Harris does not agree with the values accustomed by the other

theocracy.

Harris flatters himself that he is a neuroscientist who believes in atheism and

therefore he wants to represent liberalism. He is a very outspoken scientist and an

intellectual individual who is uniquely positioned to be a thought leader in the

global society of our time. And yet, he could fail if he were to establish his own

theocracy as a cult just as many evangelists have attempted from time to time. I am

afraid he might have created his own Ark of the Covenant to prove his points.

Harris, in his blog, continues to accuse the Muslim world.

“…take a moment to appreciate how bleak it is to admit that the world would be

better off if we had left Saddam Hussein in power. Here was one of the most evil

men who ever lived, holding an entire country hostage. And yet his tyranny was

also preventing a religious war between Shia and Sunni, the massacre of

Christians, and other sectarian horrors. To say that we should have left Saddam

Hussein alone says some very depressing things about the Muslim world.”

After 9/11, in general, among the American citizenry, a fear was planted whereby

Islam represented terrorism and terrorism represented Islam. Was Saddam Hussein

really “one of the most evil men who ever lived”? If we talk about terrorism, one

cannot convince the Muslim world that the Christian Crusaders were the holy

heroes. As far as Muslims are concerned, the crusaders should be considered as

troops of terrorists just like current Westerners perceive ISIS. When one’s national

experience of a culture is negative, this results in racism.

We must consider that it could be reasonable to perceive that the formation of ISIS

could have been created by the void left when the Americans destroyed Saddam

Hussein’s leadership, his government and banished his loyal supporters.

In our political environment, it is an absolute necessity for a citizen to value

tolerance, a key anchor of liberalism, for a multicultural society to function well.

Liberalism is therefore a basic discipline we all must practice. The US is a

multicultural society and as such, we are a microcosm of the world.

The karate instructors, in Okinawa, refer to the purpose of learning the art of karate

through the phrase, “hitoni utarezu, hitoutazu, kotonaki, kotowo, mototosuru.”

Translated, this means “…thus no one can harm you nor can you harm anyone,”

and as such both parties survive without hurting or eliminating others.

I stated this during the April 24, 2014 lecture. They earned their vision from their

history of heritage.

Many have understood the principle behind karate as a discipline of self defense.

And yet, this interpretation has been mistakenly used to justify an act that could be

used against the offender who would punish them, and if necessary, fatally harm

them. In some Christian societies, there is a sentiment to justify an act of violence

if that violence was a result of defending one’s self or family.

On the other hand, ethnic cultures who are a minority within the community or a

host nation, develop a wisdom in order to survive – they have learned that it is not

advantageous to harm a member of the authority class or a member of the majority.

Within a ghetto or minority commune, the legal and civil rights of the minority

may be poorly protected by the host state or authority, therefore, their acts of selfdefense

will not be protected.

Ryukyu or Okinawa once was a colony of the Satsuma clan of Japan and

consequently became a prefecture of Japan during the 19th century. While the

islanders are now Japanese citizens, they have maintained their traditional social

ethics as reflected by their cultural heritage.

That phenomenon among people’s society has not changed since. Our current

international political society is a group of nations comprised of different mother

tongues and people of different genetic make-up. Thus our sociological

environment in the globe now strongly suffers from a situation in which a growing

immigrant minority reside in many nations. If the host nations’ citizenry were to

adopt the principle of “your concern is my concern”, many of the acts of violence

against these minorities would cease.

I posit that the Okinawan concept of the art of karate will be effective as an

educational tool to establish a common sense of global citizenship. Every citizen

needs to develop a mentality that is disciplined by valuing the ideology that helps

us to coexist with the different groups of people in a multicultural society. To

prepare our children for that society, we need an educational tool with an ideal

model of this mentality.

The traditional hierarchical society, has groups of minorities who suffer and are

victimized by the hosting majority people and the authority the majority possess.

Some of those victimized have experienced many generations of anger, regret and

envy. As quoted by scholars of sociology, there is a significant sociological and

psychological tendency for a member of the minority community to feel some

degree of hostility toward the majority. The French term, “ressentiment”, is thus

applied (“ressentiment” in French).

The late August Wilson, an African-American playwright, wrote a Pulitzer prizewinning

play, “Fences”. The play presents a significant example of the Black

American society’s resentment toward the hosting majority.

We all could be part of the minority at some point in our lives. Language, race,

gender, physical appearance, financial status, political leaning, education and

career status, community, and even religious beliefs are all factors that could lead

someone to be a minority.

In this lecture today, I would like to point to how the Okinawan concept and its

principles of tolerance and liberalism will strengthen our world and enable us to

build a healthy multicultural commune.

Therein lies the Martial Arts Theocracy.

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What does it mean to be a Black Belt
The Martial Arts Theocracy as
an Educational Tool
LECTURE ARTICLE for July 30, 2015
BY N. GOSEI YAMAGUCHI

SYNOPSIS

In the United States, police officers are public servants who have the legal

authority to arrest and detain people for a limited time. Qualified officers are

authorized by the law enforcement agency to carry a fire arm. The major role of the

police is to maintain order, keeping the peace through surveillance of the public,

and the subsequent reporting and apprehension of suspected violators of the law.

There are two set of laws defining the circumstances under which law enforcement

officers are justified in using lethal force on suspects. One set of standards is state

law and the other set of standards is the policy of the officers’ police department,

policies which describe when and when not to use force.

While there are screens that test the capability of a potential police officer from a

technical and regulatory standpoint to ensure the most capable are credentialed as

enforcement officials, I am concerned that there may not be a set of tests or screens

to assess the recruits’ emotional limitations related to tolerance, conflict resolution

or anger management.

The martial art of Okinawan origin traditionally had practitioners who trained to be

patient and to forgive the potentially hostile opposition. Through their training they

built up their balanced, stable mind and body.

Black belt literally pertains to the belt’s color which has darkened over time.

Traditionally in Okinawa and the Japan mainland, every practitioner wears a clean

white belt as part of the uniform they wear for the art. By wearing the white belt

for decades, those practitioners’ belts became stained by handling, thus blackened.

That is what it means to be a black belt. Those who wear the stained belt show

through the years of training that they have learned enough of the fundamental

performing knowledge and demonstrate mental and physical discipline. Let us not

make the mistake that the black belt is awarded to those who have merely shown

proficiency in the basic foundation and therefore have mastered the art form.

Instead, the black belt is the entry point for further study and practice.

As an example, my father whose first name was Gogen, was given his name by his

instructor Mr. Chojun Miyagi. The Chinese character for Gogen, it written as 剛玄.

The first letter means “Hard”, as represented by the first word of Go-Ju, and

literally means “Black,” which connotes the profound maturity or professionalism

only found through extensive practice.

The Oriental culture values the evidence of hard work exhibited by the stained and

darkened color of black – which is opposite to the Christian value of “Immaculate

Conception” in the Western culture. The latter is influenced by Christian dogma

promoting purity as defined by that which is stainless.

In a previous lecture, I mentioned that Okinawa, which was a colonized island by

the Satsuma Clan of Japan, developed an ideology among the islanders to ensure

their survival. They practiced how to coexist with an alien administrative or

governing power. Their purpose as stated by, “Hitoni Utarezu Hito Utazu,

Kotonakikotowo Mototosuru”, and means “…thus no one can harm you nor can

you harm anyone,” reflects the metaphysical concept to survive by coexisting with

a hostile power rather than by eliminating the power.

Okinawan islanders and the Jewish people share resembling values, that is, to

surrender to the hosting powers in order to survive and preserve their diaspora

community and their cultural legacy. They both practice the avoidance of protest

against the powers and seek to coexist with their adversaries.

The Okinawan Martial Arts theocracy supports the idea of protecting the self while

not harming the adversary and not allowing that adversary to harm you. The

concept requires a fundamental awareness and respect of others and other cultures

within the society.

I was quite disturbed with an incident that occurred recently in Texas. A woman

was stopped by a traffic officer and arrested by the officer for not complying with

his order and three days later she was found dead in her jail cell. She violated a

traffic law by neglecting to signal as she changed lanes. She was arrested because

she refused to stop smoking her cigarette and when the officer asked her to step out

of the car, she resisted doing so. From the woman’s perspective, she was not

breaking any law by smoking in her own car and refused to follow the demand of

the officer to extinguish her cigarette. From the officer’s perspective, his demand

and therefore authority was ignored. It was most unfortunate that the officer was

not patient enough to control his anger and ignore the driver’s hostile manner and it

was unfortunate that the driver persisted to make her point by disregarding the

officer’s authority.

For most automobile collisions, regardless of who caused the collision, either party

could have evaded the crash by applying his/her defensive skills. If an officer is

unreasonable, you may need to defend yourself by executing survival techniques

such as removing any justification for the authority to arrest you. To persist upon

your rights, may not help the situation if the other party is of unfit or irrational

mind.

I would like to share an episode experienced by one of my fellow black belts.

During a road trip he noticed a patrol car was trailing him by a hundred yards. He

immediately wondered if he had been driving faster than the speed limit.

Voluntarily, he pulled his car to the curb, turned off the engine and exited the car.

He then walked to the rear of his car placing his back against the car. He quietly

waited for the patrol car by spreading his arms and placing his opened hands on the

car trunk, smiling.

In this episode, my fellow black belt received no ticket. Both parties greeted each

other in a friendly manner and my black belt evaded any possible harassment.

If one is raised as a member of a minority group, he/she learns through experience

the absurdity of abuse by agents representing majority. If you are trained to handle

such experiences, you can build up a sense of patience in order to survive instead

of reacting in a manner that could provoke the authority.

On the other hand, if you represent the authority, you need to be disciplined by

controlling your emotions as I stated above, thus applying the Okinawan theocracy

of martial arts. A police officer also needs to survive while properly executing his

duties. To be trained in the concept of martial arts one can earn his/her safety by

not hurting those individuals who may challenge you.

The word of SENSEI in Japanese translates into “teacher” in English. This is not

exactly the correct translation because of how the word is spelled 先生. The first

letter, (SEN) literally means, “prior” and the second (SEI) means “birth.”

The correct meaning of the idiom should be “a person who was born before you.”

The term SHIHAN, 師範、also is translated into English as “teacher.” The first

letter means, in fact, teacher but the second letter refers to “role model.” As an

Okinawan Martial Arts instructor, the discipline strongly emphasizes the

qualification to be an instructor as one who does not abuse the power of authority

as a teacher.

The sense of “your concerns are mine” applies to the essence of “role model”,

defending your students and not targeting them as your adversary.

The United States is a multi-cultural society. And as this is where we live, if you

are qualified to be a karate instructor trained in the mindset of patience and

tolerance, you would be an ideal teacher of our future children to help them learn

how to live in the multicultural society by respecting others and their culture.

As stated in a previous lecture, I believe the Okinawan concept of the art of karate

is effective as an educational tool to establish a common sense of global

citizenship. Every citizen needs to develop a mentality that is disciplined and one

which values the peaceful coexistence with the different groups of people in a

multicultural society. To prepare our children for that society, we need an

educational model to teach this mentality.

I would like to point to how the Okinawan concept and its principles of tolerance

and liberalism will strengthen our world and enable us to build a healthy

multicultural community.

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Copyright © 2015 by Norimi Gosei Yamaguchi and Goju-Kai Karate-Do, U.S.A.

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